ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

「孤独と貧困」再び

私は以前ドイツで公開された『Sommer vorm Balkon』という映画を見た際に、「孤独と貧困」という日記を書いたことがあります。これは、現代ドイツでも近世の都市でも、貧困に落ちる人々の多くが家族などの安定した人間関係を持っておらず、社会的に孤立していることについて書いた文章です。

この「孤独と貧困」あるいは「貧困と人間関係」というテーマは、社会的排除の核心とも言える重要問題なのではないかと、私は感じています。私は、昨年公刊した「宗教改革ミュンスターの社会運動 (1525-35年) と都市共同体 ―運動の社会構造分析を中心に―」(「西洋史研究」新輯第37号、2008年、86-117頁) という論文で、ミュンスター再洗礼派運動の支持者の社会階層を分析しました。そこで明らかになったのは再洗礼派になる傾向が強かったのは、子供を持たない独り身の成人女性、家を持たない貧しい成人男性だった蓋然性が高いという事でした。さらに言えば、都市社会の様々な社会的資源から排除されるの度合いが高まれば高まるほど、再洗礼派になる傾向が強まった蓋然性が高いことが明らかになりました。

先日のグローバルCOEプログラム「社会階層と不平等教育研究拠点」で落合恵美子先生が行った「アジア家族の変容−勃興すアジア家族の変容」という講演で私が興味深いと思ったのは、先生がタイでは、新しく伸張してきた中間層では家族の絆が強いのに、低所得層に属する家族は絆が切れ切れになっていると指摘していたことでした。

先生はタイの低所得者が住む保育園でインタビューを行ったそうです。それによると、タイの低所得者層の女性は子供を産むと専業主婦になるそうですが、これは子育てに専念するためではなく、仕事ができなくなるからだそうです。タイの低所得者層は親からの援助も受けない代わりに、親の面倒も見ないそうです。また元々離婚率が高く、家族の関係が安定しないようです。

しかしこのように家族の絆や相互扶助が弱い低所得者層に対し、新中間層の離婚率は低いそうです。また、タイでは元々女性が働くことが一般的で、共働きが普通だったそうですが、新中間層では夫が一家を養うという従来のタイにはない考え方が広がり、それと共にそれまで一般的でなかった主婦が現れ始めたのだそうです。

落合先生は、一つの仮説として、そのような安定した家族を築くことができた人が、スラムを抜け出し、新中間層に上昇できたのではないかと述べていました。

低所得層でも家族関係が緊密な社会は多々あると思いますが、個人的にはこのような指摘は、階層と家族や人間関係の問題に改めて注目する良い機会になりました。


安定した家族を持つということは、昔からその社会の一員になったことの一つの指標であるように思います。中近世ドイツ社会でも、結婚して、子供を産むということは、社会の成員になるために必要不可欠な行為であり、逆に言えば結婚できない者、子供作ることができない者、あるいは子供を作っても満足に育てられない者は、社会の周辺に位置している場合が多かったわけです。

これは現代日本でも同じだろうと思います。たとえば、中川清先生の授業のレジュメでは、何年の何処のデータなのか書いていませんが、日本での生活保護世帯の74%が一人世帯で、「所得の低さだけではなく、社会関係から孤立し、深い貧困に陥っている状況」にあると述べられています(11頁)。

また、阿部彩さんが厚生労働省平成14年所得再分配調査」から作成した「属性別貧困率*1では、「高齢者のみ世帯」の貧困率が男女とも20%強であるのに対し、「高齢単身」では男性で30%弱、女性では50%強が貧困世帯に属しています*2

また、「夫婦のみ世帯」の貧困率が男女とも10%強、「夫婦と未婚の子のみ世帯」が10%弱なのに対し、「単身世帯」では男性で20%強、女性で約35%になっています。また、「母子世帯」では男性で30%弱、女性では約35%が貧困世帯であるそうです。

また、阿部彩さんが2005年に発表したディスカッションペーパー「日本における相対的剥奪指標と貧困の実証研究」でも、世帯主の年齢別の相対的剥奪率は、20代で52.6%と特に高いそうです。また、配偶者ありの世帯主の相対的剥奪率が31.6%であるのにたいし、配偶者なしの世帯主の場合49.1%と著しく高いようです。

阿部彩さんは、配偶者を持たない者の剥奪率が高い理由を「標準的なライフコースからの逸脱」の現れだと考えています。

これは平岡(2001)も指摘するように、配偶者の欠如は「階層的な地位の低さ」に起因する「標準的なライフコースからの逸脱」(平岡2001、p.170)とも考えられ、相対的剥奪の事象も同じように標準からの逸脱の一つの側面としてデータに表れている可能性がある。また、逆に、相対的剥奪状況にあるからこそ、「標準的ライフコースから逸脱」してしまう可能性もある。実際に、年齢階級別に有配偶者と無配偶者の相対的剥奪率を比べてみると、どの階級においても無配偶者のほうが有配偶者よりも高い確率で剥奪状況にあるが、20代と70歳以上ではその差は有意ではない。これは、20代と70歳以上においては、配偶者の欠如が「標準的なライフコースからの逸脱」ではないからであると思われる。(8-9頁)

また、単身世帯の相対的剥奪率が56.8%であるのに対し、有子世帯は36.6%、高齢者世帯が34.3%であるのに対し、単身高齢者世帯が58.2% であるので、二人以上世帯と比べて単身世帯では大幅に剥奪率が高いことが分かります。また世帯内に傷病者がいる場合剥奪率が61.2%、母子世帯の場合73.7%と非常に高くなっています。

阿部さんは、このことからも、通常のライフコースから外れた場合のリスクが極めて高いことを示していると指摘しています。

このディスカッションペーパーについては、「青年の発達と未来を考える」さんで詳細に紹介されています。

http://d.hatena.ne.jp/ost_heckom/20060909/p1


標準的ライフコースの基礎となる結婚についてですが、特に男性の場合有配偶者率と仕事、収入が密接に関係していることが、2005年の労働政策研究報告書「若者就業支援の現状と課題」で指摘されています (90-91頁)。

先ず15-34歳の有業者男性の有配偶率が36.9%であるのに対し、無業者は6.8%にとどまっています。つまり、無業者はほとんど結婚していないことになります。また、有業者男性の中でも自営の有配偶率が55.9%、正社員が40.4%であるのに対し、非典型雇用が13.5%、さらにその中でも周辺フリーターは5.6%と大きな違いがあります。

女性の場合は、専業主婦がいるので、無業者の有配偶率が74.2%に対し、有業者が28.7%と男性とは全くの逆の傾向にあるようです。

また、年収別の有配偶率を見ると、男性の場合年収が高いほど、有配偶率が高いという傾向がはっきりと見られます。25-29歳の場合有配偶率が50%を越えるのは年収500万円以上、30-34歳の場合300万円以上です。ちなみに30-34歳男性では年収1500万円以上の場合90%とほとんどが結婚しています。

女性の場合には男性とは逆に年収が少ない方が有配偶率が高く、25-29歳で最も有配偶率が高いのは50-99万円の63.5%、最も低いのが150-190万円の16.2%、30-34歳で最も有配偶率が高いのが収入なし、50万円以下の82%、最も低いのが250-299万円の31.3%です。このことから、女性の場合結婚すると仕事を辞めるか、収入の低い非正規の仕事に就いていることが伺えます。

また、女性の場合も300万円以上の年収になると、年収が上がる毎に次第に有配偶率が上がっており、男性ほど明白ではなくても、正規雇用者の間では年収と有配偶率はある程度相関しているようです。たとえば30-34歳の女性でも、年収1500万円以上だと74.7%と、大部分が結婚しています。


単身、未婚、女性、母子家庭、高齢、若年、傷病などは、かなり普遍的に貧困と結びついている要素であるようにも思えます。そして、それは、これらの諸要素が、結婚し、働き、子供を持った健康な壮年の男性が世帯主である世帯という、標準的な世帯からの逸脱であることに起因しているという印象を受けます。

私は中近世ドイツの都市と現代日本について、ほんのわずかな知識を持っているに過ぎませんが、このような広範な共通性を鑑みるに、貧困や社会的格差の問題は、様々な社会や様々な時代を比較しながら考えていかなければならない問題ではないだろうかという印象を受けています。

「孤独と貧困」や社会的排除という問題は、まさにミュンスター再洗礼派運動研究にとっての最重要問題でもあり、現在の日本社会が直面している最も深刻な問題でもあるため、自分の中では、この二つの問題は相互に極めて密接に結びついており、なおかつ近世ドイツ都市や現代日本だけではなく、より普遍的な貧困や社会格差の条件やメカニズムを検討するための足がかりであるとも感じています。

*1:等価世帯所得が全人口の中央値の50%以下

*2:内閣府生活困難を抱える男女に関する検討会(第2回)議事次第」2008年10月3日配付資料