ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

レーオポルト・フォン・ザッハーな職業

本日は、修士論文提出を予定している大学院生が、先生方、院生の前で、構想を発表し、各々方から様々な指摘を賜るという素敵な会合が催されました。会合は、午後1時に始まり、約一時間が発表、その後約一時間が質疑応答になっています。

本日発表した方は、大変真面目に二次文献に目を通し、史料を読んでいる様子が伺えたのですが、まだ史料を読んでいる最中の段階ということで、方法や論の立て方が必ずしも明確ではありませんでした。そのため、各方面から、様々な問題点が指摘されました。それを聞きながら、あと数ヶ月で、これらの問題を全て解決するのはどう考えても不可能だろうと思い、明日は我が身と大変同情しました。

しかし、このような場で、自らの論の不備を指摘してもらうことは、研究においては必ず必要であり、辛い思いをせずして学問的な成長はありません。しかし、今更ながら思うのは、(以下自己検閲により削除)。

そのような因果な我々は、会合の後、発表者の労を労い、共に酒を酌み交わすに到ったのですが、夜も更け二次会になってくると、酔いが人々の俗を呼び覚まし、昔の大衆映画の赤提灯の下に潜む平社員の如く、人々の舌は不用に滑らかになり、ありふれた混沌が、お約束のように繰り広げられるのでした。その様を眺めた私は、山寺に籠もりし出家僧さえも容易には俗からは逃れえぬのだから、所詮象牙の塔に籠もる程度の我々如きには、世俗の垢を拭い去ることは適わぬ事なのだろうと思い、喧噪の中、一人溜息をついたのでした。