ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

心温まるウィーンのウォーターフロントの風景

この間は、ウィーンを、栄華が過ぎ去った過去の街のようにも書きましたが、ウィーンは一方でオーストリアの首都、かつ最大の都市であり、経済の中心地でもある、現代的な都市でもあります。

街の構造は歴史を映し出すもので、街の中心部に中世や近世の古い建物が残っているとすれば、19世紀、あるいは20世紀に旧市街の市壁を超え、爆発的に広がった新しい市域には、現代的な建物が建ち並んでいます。それぞれの街並みの違いは、数百年の歴史を持つ地域と、数十年の歴史しか持たない地域の、歴史の厚みの違いをそのまま映し出しています。

私がスロバキアへ出発するとき、ウィーンの郊外にあるFloridsdorf という駅に行かなければなりませんでした。中心部からこの駅に行くには、ドナウ運河、ドナウ川、新ドナウ川という三本の川、および運河を通る必要があります。

この地域はすでに中心部からかなり離れており、かなり最近整備された街のようで、周辺には現代的な建物、川の間にあるだだっぴろい公園、同じ形をした(多分)建て売りの住宅が並んでいる団地などがありました。

私がその風景を見て思い出したのは、千葉の湾岸にある幕張や、稲毛のような新興の商業地区や住宅街です。ウォーターフロントとか、ベイエリアとか、広告代理店が名付けていた、真新しい未来的な建築が立ち並ぶ、生活感がない埋め立て地的な街の風景です。

私はドナウ川の向こうに広がる、ウィーンの郊外の街並みを眺めながら、ヨーロッパにも、このような故郷を思い起こさせる、心温まる風景が広がっているのかと感嘆しました。

Frorindsdorf で、ウィーンのウォーターフロントの眺めを堪能した私を待っていたのは、さらなる心温まる風景でした。つまり、駅前には、期待を裏切らず、真新しい広場と、ショッピングセンターが並ぶ、これまた故郷を思い起こさせるような心温まる風景が広がっていたのです。

もちろん、このような景色には必要不可欠なマクドナルドの、赤と黄色の看板も見ることが出来ました。その郷愁あふれる風景を目の当たりにした私は、思わず衝動的に、マクドナルドに駆け込んでしまいました。

マクドナルドのレジに立っていたアルバイトの女の子達は、東南アジア系で、まだドイツ語がおぼつかないような子達でした。もちろん、カウンターの裏でハンバーガーやフライドポテトを調理している男性達は、インド系やアラブ系の方達です。一人白人のバイトの女の子もいたような気がしますが、彼女は多分東欧かロシアから来たのだろうと思います。

マクドナルドのバイトは、多分時給が安いのでしょうが、かなりの部分(ほとんどと言っても良いような気もします)外国人、それもヨーロッパより経済水準の低い国から来た人たちによって占められています。そのため、レジで、たどたどしいドイツ語を聞くことも度々です。

この日は、まだウィーンに来たばかりらしい、若い東南アジア系の女の子が、お客さんの注文を聞き取れずに、何度も聞き返し、それでも聞き取れず、どうして良いか分からずにおろおろして、隣のレジにいた東南アジア系のバイトの女の子に助けてもらっている、いかにもアジア系の学生に起こりそうな心温まる場面も見ることができました。

マクドナルドの心温まる光景と、駅前の心温まる風景にすでにお腹いっぱいになっていた私は、マクドナルドの心温まる(そして、少々胸焼けがしそうな)チキンバーガーとチーズバーガーを、ディスカウントのスーパーで買った炭酸入りの味の薄い心温まるリンゴジュースで胃に流し込みながら、まだ見ぬ旧共産圏のスロバキアへと向かう列車の到来を待っていたのでした。