ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

何故平塚の家の庭には祠があるのか?

平塚に海を見に行ってきた。ついでに、平塚八幡や八幡山公園に寄った後、平塚市立図書館に行ってきた。お目当ては、市立図書館3階の郷土資料コーナーだ。何故平塚の郷土資料を見たかったかというと、平塚の個人宅にある小祠について知りたかったからだ。以前…

南三陸志津川海の旅

焼け付くような陽差しと真っ青な空が眩しい夏真っ盛り、私は日々家に籠もる生活を続けているわけですが、夏が終わる前にどうしても一度海を見に行きたかったので、本日は宮城県北部は志津川に行って参りました。志津川駅へは、気仙沼線で仙台から直通快速が…

佐潟とイタリアン

この日は、海を見て和みたいということで、佐渡島に行くつもりだったのですが、結局疲れが取れず、寝坊したので近場で済ませることにしました。近くに、ラムサール条約に登録されたという佐潟という湿地があるようなので、そこに行ってきました。ただ、この…

熊本でケーテ・コルヴィッツに再会。

朝起きて、朝食をいただく。魚の卵や白子やレバーなどの珍しい食べ物をいただく。友人の父は釣り人で、魚を良く釣ってくるのだそうだ。先日時間が無くて見られなかった、熊本城内にある県立美術館を拝観する。偶然にもこの日は、ドイツの女性画家ケーテ・コ…

熊本は暑かった。

広島から熊本へ。九州初上陸。博多まで新幹線、その先は特急。しかし、特急は車両は立派だが、在来線の線路を走るし、それほど早いとも思えなかった。広島を8時30分頃出て、昼前に熊本に着いた。学部時代の友人と、6年ぶりくらいの再会をする。病気療養…

広島再訪

昨年原爆についての講演の準備をしている時から、もう一度見てみたいと思っていた広島を訪れた。もちろん、一番の目的は、平和公園。平和公園、特に原爆ドーム周辺には外国人観光客の姿が多く見られた。アメリカ、ヨーロッパ系の人々が目立つ。見分けがなか…

楽しきドイツでの最後の晩餐 in Speyer

Worms (ヴォルムス)からSpeyer (シュパイアー)に向かう途中、Mannheim (マンハイム)に少し立ち寄りました。Mannheim と言えば、ドイツの人気グループSöhne Mannheims (マンハイムの息子たち)の故郷ということで、ちょっと立ち寄ってみたかったのです。マンハ…

皇帝と司教とルターの都市Worms

朝Waltner 氏に駅まで送ってもらい、Worms (ヴォルムス)へ旅立ちました。この日は生憎の天気でずっと雨でした。Worms の駅前は、電話屋とカジノがやたらと多く、ホテルがほとんどありません。何となく街全体に活気がない感じがしたのは、天気のせいだけでは…

ドイツメンノー派研究の拠点Weierhof

マインツから、Alzey 経由で、Kirchheimbolanden まで一時間ほど電車に揺られます。このライン左岸の地方は、緩やかな丘の広がる農村地帯で、広大な耕地の区画と、ブドウ栽培が特徴的。すでにフランスに近い雰囲気。天気は快晴で、上着が要らないほどの春の…

人口の少ない大司教の都市マインツ

日曜日:コブレンツからマインツへ。車中では相変わらず眠くて仕方がなく、窓の外も余り見ず、眠り続けた。コブレンツを出たときは天気が悪かったのが、マインツに着いた時には快晴になっていた。気温も高く、春のようだった。マインツについても、駅前のホ…

ミュンスターとの別れを惜しむ贅沢はない

金曜日:朝起きて、日本ですぐに必要な文献を詰めた荷物をえっちらおっちら持っていく。中味はほとんど本なので無茶苦茶重く、郵便局に着いた頃には腕がガクガクになっている。その後、大学の事務に行き、学籍登録の抹消を行う。手続きが終わると、メールア…

旅の途中

木曜日:Stadtarchiv Soest. Abt. A Nr. 4018. Türkensteuerregister 1532. ゾースト市ではなく、Soest Börde (Oberbörde und Niederbörde)の記録。当てが外れる。妻の有無は記述されておらず、すなわちKopfsteuer ではなかった。ゾースト市の最古のSchatzun…

要塞都市ヴェーゼル

先週の土曜に、下ライン地方の小都市Wesel (ヴェーゼル)に行ってきました。ヴェーゼルは、ライン川とリッペ川が合流する交通の要衝に作られた都市で、中世は、ケルンと低地地方を結ぶ中継地点として栄えたようです。近世初期までは、下ライン地方を代表する…

ハンブルクは寒かった。

週末旅行シリーズということで、ハンブルクに行って来ました。ハンブルクと言えば、ドイツ第二の大都市にして、ハンザ同盟の中心都市と言うことで、行かないとマズイだろうと思い、重い腰を上げて行ってきました。ハンブルクの中心部は、第二次大戦の時に爆…

デュースブルクで凍えそうになる。

週末は文書館が閉まっているし、もう時間がないので、なるべく沢山のドイツの都市を回りたいと思っています。というわけで、今日は、ルール工業地帯の工業都市Duisburg に行ってきました。*1Duisburg は、Magdeburg からSoest、Dortmund を抜けて、ドイツの…

娼館のあった通りベアリヒ

文書館に行くついでに、ケルンの街もそれなりに見てきました。私は、これまできちんとケルンの街を見たことがなかったので、街中の教会を見て回りました。ケルンは、正直言って、ドイツの街の中でも、かなり町歩きするには向かない街です。その理由は、街中…

子供は理由もなく走り回る。

ブリュッセルでは、毎日朝から夕方まで文書館にいたので、市内はそれほど見て回れなかったのですが、お昼時や文書館が閉まった後(4時半)などに、暇を見て、街を歩いて回りました。文書館から少し離れた丘の上には、ブリュッセルというか、ヨーロッパ最大…

ベルンハルト・ロートマンの生まれた街Stadtlohn

ミュンスターはすっかり寒くなってしまいましたが、このところ雲一つないような快晴が続いているので、ミュンスターラントの小都市を回っています。今日は、ミュンスター宗教改革運動、そしてミュンスター再洗礼派の中心的神学者であるBernhard Rothmann (…

デフェンターの殉教者Fenneke van Geelen

この間の旅で、一番最初に訪れたのはオランダ内陸にある都市Deventer(デフェンター)です。この街は、元ハンザ都市で、商業の街であり、同時にDevotio Moderna が盛んであり、エラスムスも学んだラテン語学校が人文主義の牙城になるなど知的にも重要な都市…

フリースラント放浪

アムステルダムやライデンなどのホラントと並び、ミュンスターにやって来た数多くの再洗礼派を排出した地であるフリースラントを回ってきました。研究と関係があるような、余りないような、微妙な旅でしたが、やはり実際に一度は行ってみないと納得が行かな…

フリースラントへの旅。

研究を再開し、頻繁に脇道に逸れながら、史料をどんどん読んでいるのですが、またそろそろ旅に出なければならないので、平行してその準備もしています。正直、全く旅行をしたいという気分ではないのですが、こちらにいるうちに色々回っておかないと、後で後…

国民文化と風景

低地地方の場合は、風景の直線性は、自然条件に起因するものです。しかし、内陸部は、自然条件で言えば、隣接するドイツとほとんど変わらないはずです。にもかかわらず、国境線を跨いだだけで、風景がかなり違ってしまうと言うことは、おそらく両国の風景に…

植林された若木の並ぶ雑木林と並木

違いの二つ目ですが、オランダの農村には、先ず木が非常に少ないと言うことが挙げられます。これは何故かというと、オランダの農村には、雑木林がほとんどない、あるいはあっても非常に小さいからであり、同時に並木が少ないからです。何故雑木林が少ないの…

耕地の直線的区画

前回の文章で、オランダの低地地方では、風景の中に直線が多いことについて書きましたが、実は内陸部でも、風景の中にかなり直線が多いのです。低地地方の風景の直線性は、主に水路によるもの、つまり前回ご説明したように、元々の自然条件によって要求され…

オランダ内陸部の農村風景

しかし、面白いのは、オランダの風景は、低地地方だけでなく、内陸部でもドイツとはかなり農村の風景が違うと言うことです。見たところ、デヴェンター(Deventer)よりも内陸になると、おそらく自然条件は隣接するドイツのヴェストファーレン地方とそれほど…

オランダ低地地方の農村風景

ドイツとオランダは隣り合った国ですが、農村風景はずいぶんと違います。私は以前アムステルダムの空港に飛行機で飛んだとき、眼下の風景を見て、唖然としたことがあります。何故なら、アムステルダム周辺の耕地が、直線と直角ばかりの非常に人工的な構造を…

ハーレムで映画撮影に出会う。

日曜日、礼拝式が終わった後、私が街中をうろうろ歩いて回っていたのですが、この日の昼過ぎから、市内中心部の大きな広場で、映画撮影がやっていました。この映画は、韓国映画のようで、広場には韓国人スタッフが山ほどいました。現地スタッフがオランダ語…

メンノー派の礼拝式

メンノー派歴史協会の会合があったのは土曜日なので、その翌日の日曜日には10時半から礼拝式がありました。私も参加して良いとのことなので、再洗礼派の礼拝式がどのようなものなのを体験すべく、礼拝式に参加しました。先ず、ハーレムのメンノー派の教会…

メンノー派歴史協会の総会

当初は、午前中の講演だけを聞いて、その後は市内を見て回ろうかと思っていたのですが、ドイツ人グループに混じって行動しているうちに、結局成り行きで午後の総会にも出席することになってしまいました。この総会では、会計報告や様々な役員の選出が行われ…

メンノ−派歴史協会の会合

5月のオランダへの旅の最大の目的は、Mennonitischer Geschichtsverein(メンノー派歴史協会)の年一回の会合に参加することでした。この会合は5月21日に、ハーレムのメンノー派教会で行われたので、私も出席してきました。今回の会合は、大きく分けて、…