ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

恐怖は最強のインセンティブ?

こうした犯罪(注:エンロンワールドコムの嘘)は、それぞれとてもさまざまだけれど、一つ共通する特徴がある:これらは皆、情報の罪だ。つまり、専門家か専門家の集団が、嘘の情報をばら撒いたり本当の情報を隠したりしているものが多い。それに、それぞれ専門家は非対称情報をできるだけ非対称にしておこうと立ち回っている

『ヤバイ経済学』84頁

何故専門家が情報の非対称を保持したいと思っているかというと、当然情報の非対称によって彼らが他の人々の行動を、自分の利益に適うように操作することが容易になるからです。そして、人を説得するには、筋道立てるよりも、人々の感情に訴える方が有効であるようです。そして、感情に訴えるときに使える強力な武器が、恐怖であるそうです。

他の分野でもそうだけれど、典型的な子育ての専門家はやたらと自信たっぷりな言い方をする。彼らはどちらかの立場に与して自分の旗を高々と掲げる。この問題にはいろいろな側面があって、なんてことは言わない。条件とかニュアンスとか、そういうものの臭いがすることを言う専門家の話なんて誰も聞いちゃくれないからだ。自分が編み上げた編み上げた平凡な説を通年に押し上げるなんて錬金術をやろうと思ったら、専門家はあつかましくやらなければいけない。それには一般の人たちの感情に訴えるのが一番だ。感情は筋の通った議論の天敵だからである。感情に関して言えば、そのうちの一つ−恐れ−は他よりとくに強力だ。(中略)専門家はまずそういう怖い話で私たちを震え上がらせる。(中略)そうしておいてアドバイスをするから、とても聞かずにはいられない。

『ヤバイ経済学』187頁

このように大変大きく人の感情を動かす恐怖ですが、人は、自分がリスクをコントロールできない場合の方が、より大きな恐怖を感じるそうです。つまり、Peter Sandmanさんによれば、「自分でコントロールできないリスク要因に比べると、コントロールできるリスク要因は怖がられない」(189頁)のだそうです。そのため、人々が怖がるリスクと、実際のリスクは、全然違うのだそうです。

上の問題とは関係ありませんが、Manuel Eisner, "Secular Trends of Violence, Evidence, and Theoretical Interpretations" Crime and Justice: A Review of Research 3 (2003) に載っているという時代毎の殺人率が、どのような史料に基づき算出されたのかは、そのうち確かめたいと思います。


情報の非対称性を武器に使えるというのは、歴史学者もいっしょですね。たとえば、日本では私以外にミュンスター再洗礼派のことを良く知っている人はほとんどいませんので、私がこのテーマについて、巧妙に史料を操作したり、架空の史料をでっちあげたして、デタラメなテーゼを主張したとしても、見破れる人は、ごく少数にとどまるだろうと思います。*1

そのため、研究者には、そういうことをしない倫理性が求められます。そして、その倫理性を守らせるために、捏造が発覚した場合、研究者の世界から抹殺されると言う厳しい罰が科せられています。

歴史学の場合は、情報操作によって得られる利益はほとんどありませんし、もし彼が研究者集団に属している場合、同業者のチェックが常に入るので、そういうことはほとんど起こらないと思います。*2

しかし、情報操作によって大きな利益が得られると予想されたり、なかなか発覚しなかったり、発覚してもそれほど厳しい罰に処せられないならば、情報の非対称性を利用して利益を最大化しようとする行動は避けられないのでしょう。

*1:註で規定の書式で史料の出所を書いておけば、そのテーマに通暁した研究者以外は、それが偽史料だとは見破れません。何故なら、自分の専門分野以外の論文の註に出てくる参考文献が実在しているかどうかを確認するという大変な作業を行う人は、ほとんどいないからです。逆に言えば、同じテーマを扱う研究者が読む場合は、註の参考文献にも注意しながら読みますし、その分野の文献や史料を網羅的に知っているので、捏造はかなり高い確率で発覚します。

*2:イデオロギーや政治と関わるテーマを扱い、なおかつ研究者集団に属していない場合は、情報操作を行うことも往々にして起こるだろうと思います。