ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

職人の帰属意識

佐久間弘展「近世ドイツの職人遍歴」(『比較都市史研究』20-1,、2001年、21-38頁)

H. ブロイアーによれば、15・16世紀のザクセンでは職人雇用に4類型があったという。第1に親方子息の恒常的雇用、第2に、3〜6ヶ月の長期雇用、第3にシェンク手工業における4〜13週間の短期雇用、そして第4に遍歴職人用の8〜14日間雇用であるこの遍歴職人用の14日以内の雇用は、ザクセンに限らず南ドイツでも一般的なものである。(28頁)

職人に短期で雇われる者が多かったこと、また諸都市の職人組合に所属する職人のほとんどは、当該都市の外部出身者であったことを考えると、職人の移動の問題を考えざるを得ません。この職人の頻繁な移動は、彼らのある都市への帰属意識を考えた場合に、非常に大きな問題となるだろうと思います。

この時に気になるのは、頻繁に移動していた職人の大半は、親方の息子ではなく、なかなか親方の地位に就くことができない人々だったのではないかと言うことです。遍歴は大半のツンフトで義務ではなかったようですが、親方の地位が保証されている親方の息子が遍歴をするメリットは、余り無さそうなので、父親の元で修行し、そのまま跡を継ぐことが多そうな印象があるのですが。逆に、親方を父に持たず、親方の地位を保証されていない職人は、遍歴するより他に職を得る方法がなく、結果として、彼らばかりが遍歴をしていて、なかなか定職に就けなかったのではないかという感じもするのですが、どうなのでしょうか。

また、親方になれず、年を取ってしまった職人は、その後もずっとknecht あるいはgeselle と呼ばれるのでしょうか。ツンフトのシステムに属している職人と、属していない日雇い労働者の、都市共同体への帰属意識は、どのように違ったのでしょうか。同じ貧民とは言っても、若い職人と、日雇い労働者は、分けて考える必要がありそうです。

反乱における職人の役割については、ブロイアーの本でも扱われていますが、旧東の研究で、初期市民革命論に基づいて記述がなされているようなので、どの程度信用して良いのか、少々心配です。*1

*1:Bräuer, Helmut, Gesellen im sächsischen Zunfthandwerk des 15. und 16. Jahrhunderts, Weimar 1989.