ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

グローバルCOEプログラム「社会階層と不平等教育研究拠点」公開講演会

さる2月7日土曜日に、東北大学のグローバルCOEプログラム「社会階層と不平等教育研究拠点」の開始記念式典と公開講演会があったので行ってきました。公開講演会と銘打ってあるので気軽な気持ちで行ったのですが、来場者のほとんどがフォーマルな格好をして来ており、受付で名札が渡されるなど、関係者以外が来ることを余り想定していない雰囲気だったので、少々申し訳ない気持ちになりました。

最初にCOEの趣旨説明や組織編成などが説明されていました。

最初の講演は、同志社大学橘木俊詔先生による「格差社会の行方」でした。橘木先生は、最初に1998年の『日本の経済格差』を出版した後生じた論争についてコメントをしていました。また、先生は絶対的貧困相対的貧困を区別し、OECDの調査で算出された日本の相対的貧困率15.3%は17.3%のアメリカに次いで先進国中第二位だったと述べ、絶対的貧困率が低いからと言って日本の貧困が問題ではないということはなく、実際に他の人と自分を比較して苦しんでいる人が沢山いるのだから、相対的貧困は重要な問題だと述べていました。

また、御自身が「貧困研究」Vol.1. 2008.10 で書いた「貧困解決に経済学はいかに貢献できるか」という小論考を配布し、これに基づき話をしていました。先生は、経済学には大きく分けてマルクス主義経済学近代経済学があり、近代経済学はさらに市場主義経済学とケインズ経済学に分かれると整理していました。そして、近年は市場主義の勢力が大きかったが、金融危機以降ケインズ経済学が勢力を持ち直したと述べていました。

また、先生は人々の賃金や所得を決める基準として、貢献、必要、努力の三つを上げていました。貢献を重視するのは主にネオリベラリズムリバタリアニズムの支持者で、必要を重要視するのはリベラリズムを支持する人々であるそうです。

また、日本では最低賃金が余りに低く、最低賃金だけだと生きて行くのに十分な額を稼げないので、もっと上げるべきではないかと述べていました。また、最低賃金生活保護は、相互に整合性を取りながら制度設計をする必要があると述べていました。


次に京都大学の落合恵美子先生が「アジア家族の受容−勃興する中間層とグローバル化−」という講演をされましたが、これは私にとって非常に興味深いものだったので、別項で採り上げます。


最後に東北大学の大渕憲一先生が「正義と公正の心理学」という講演を行いました。市民社会では社会的制度は市民の正義感を反映するように設計される必要があるため、一般的市民の正義感がどの程度公正を反映しているか調べる必要があるそうです。

先生は先ず、公正とは個人の適格性と処遇が釣り合っていることだと定義し、ドイチュの三つの公正基準を紹介していました。公正基準は、1. 業績に応じて利益が分配される「衡平」(Equity) 2. 集団の成因内部で等しく利益を分配する「平等」 (Equiality) 3. 困窮度に応じて利益を分配する「必要性」 (Need) に三つから成り、公正基準の一つに当てはまれば公正だと見なすことができるそうです。

この三つの公正基準は、Altdorferによる欲求のERGモデルの三つの欲求に対応するそうです。必要性分配は動物にも当てはまる普遍的な生存欲求に、平等分配は集団的な関係欲求に、衡平分配は個人的な成長欲求に対応するそうです。

そして、どのような公正基準が重視されるかは、集団目標によって決まってくるそうです。集団目標あるいは正義、理念が公正の適格性の基準を規定し、それに応じて適格性があると見なされる人の範囲が変わるのだそうです。集団目標が生産性・自由競争ならば公正基準には衡平が採用され、適格性は業績によって決まりますが、集団目標が調和・宥和であれば、公正基準は平等、適格性は集団の成因であるかどうかになるし、集団目標が福祉・教育であれば、公正基準は必要性になり、適格性は困窮度になるそうです。また、伝統的な集団目標としては、社会秩序や神の意志の実現があり、それぞれ公正基準は身分、信仰、適格性は社会階級、帰依であるそうです。

また、どのような公正基準を採用するかは、学歴、収入、職業などの社会階層意識とは関係がなく、より個人的な価値観に基づいていることが調査の結果分かったそうです。