ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

クリスマス(3) 聖ランベルティ教会のミサ

さて、Heiligabend クリスマスイブですが、前述のように、店は早々に閉まり、街には人気がほとんどなく、死んだように静まり返っていました。ほとんどの人は、自宅に籠もって家族とクリスマスを祝っているのでしょうし、外に出る用があるとすれば、教会にいくくらいしかないのだから当然と言えます。

そんなドイツのクリスマスなので、私もせっかくだからと、クリスマスのミサに預かろうと、ミュンスター第二の教会St. Lamberti 聖ランベルティ教会に行って来ました。

5時からミサが始まるということだったので、その30分ほど前に行ったのですが、すでに教会の座席は一杯で、通路も立ったままの信者で埋め尽くされています。クリスマスには、普段は教会に行かない人でも、ミサに行くので、教会は人で一杯になるのです。

5時になるまでも、前の方の祭壇や祭壇脇の礼拝堂で、何かやっていたようでしたが、何分ドイツ人は皆大きいので前はほとんど見えず、何をやっているか良く分かりませんでした。ただ、ずっとフルートの演奏が続いており、それを聞いていました。

ミサが始まると、皆で賛美歌を歌ったり、聖職者の方々の説教や、聖書の物語を聞いたり、献金したり、聖餐に預かったりしました。


このミサの間、私は非常に色々なことを考え込んでおり、とても刺激的だったのですが、とりあえず今回印象に残ったのは、他の信者の方々と握手をしたことです。ミサの中で、聖職者の方の呼びかけで、周りの人と喜びを分かり合うべく、挨拶し、握手をし合うという場面がありました。おそらく皆、周りの人は全然知らないはずですが、笑顔で挨拶し、握手を交わすわけです。

私が何故この場面が印象に残ったかというと、この場面にキリスト教という宗教が、共同体という性格を持ち合わせているということを実感できたからです。

私はアジア人ですが、ミサに行けば、信仰共同体の一員として遇されます。つまり、信仰共同体に属す者は、国は関係なく、共同体の一員な訳です。まあ、私はキリスト教徒ではありませんが、原理的にはそうです。

キリスト教の作る信仰共同体がいかに国際的なものかは、日本で牧師さんと少しつき合いがあったことがあったので、すでにある程度知っていました。様々な国から宣教師は来るし、逆に海外の神学校で勉強したり、慈善活動のために海外に出ていく人もいました。少なくとも日本では、ある程度の宗派の違いを越えて、様々な国籍のキリスト教徒同士が協力し合っていたようですし、キリスト教共同体が国を軽々と越える信仰共同体として機能しているのを見て、私は世界宗教の共同体としての機能の強さを実感したものでした。


ミュンスター南欧、東欧などのキリスト強圏出身の移民も多いですし、大学町なので海外からやって来た学生も多いです。彼らはミュンスターにやってくると、それぞれの宗派の教会共同体に属し、遠い異国の地でもキリスト教共同体の庇護の下に置かれることになります。

移民や外国人は、慣れない異国で暮らさなければならず、少なからず困難に直面せざるを得ないものですが、そのような場合も、おそらく教会が彼らをある程度バックアップしてくれるのだろうと思います。それは、彼らにとって、慣れない異国で生きる上で、少なからぬ程度精神の安定、あるいは困難の解決に寄与しているのではないかと、私は思います。まあ、私は、共同体の外側にいる人間なので、実際のところは良く分かりませんが。