ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

怠けることの大切さ

最近少々疲れがたまっているのは感じていたのですが、今日は文献を読もうとしても頭に入らず、肩も凝っているし、身体もだるいということで、余り根を詰めて勉強するのは止めて、だらだらとしていました。

個人的にある程度長い間留学をするときに必要なものは、un sociologue さんが書いていたように、困ったときに相談できる人を見つけることと、もう一つ無理をし過ぎないことだと思います。


こちらに長期留学をする人は、色々と面倒なハードルを超えて来ているわけですから、基本的にモチベーションは高く、余り怠ける心配はない人が多いのではないかと思います。むしろ問題なのは、がんばりすぎてしまうこと、無理をしすぎて、心身共に疲弊しきってしまうことではないかと思います。

個人的には、海外で生活、そして研究していると、自分が思っている以上に、知らず知らずのうちに身体や心に負担が掛かっているように感じます。日本と同じ事をやっても、疲れ方が全然違うように感じます。

それは、当然といえば当然で、そもそも母国語以外を使って毎日過ごすということ自体が、不自然で疲れる行為なわけですし、大学で授業に出ても、ネイティブスピーカーの中、一人だけ外国人で、大きなハンデがあるわけですから、その分どうしても疲れます。

研究でも、生活でも、上手く行かない時が必ずありますし、他のドイツ人やヨーロッパ人と自分を比較してしまって、自分の語学能力の無さに落ち込むこともあります。普通に生きる上で、気がつかないうちに小さな無理を重ね続けるというのが、海外での生活ではないかと思います。

そのため、そういう自然と負荷がかかる状況の中で、必死でがんばっていると、必然的に身体や心に負担を掛けすぎることになり、そのうち我慢の限界が来ることになります。人間の身体は上手くできたもので、体や心が限界が近づいたときには、身体が妙に疲れたり、精神的に落ち込む時間が長くなったりして、それ以上無理をしないように警告をしてくれます。

もちろん、こういう時には勉強など手に付かない状態になります。この時、自分はなんて怠け者なのだと自分を責めたり、もっとがんばらなければと、無理して勉強したりすると、さらに身体や心に負担をかけ続けることになります。そして、ますます物事が上手く行かなくなり、さらに焦ったり、落ち込んだりして、より自分に負担を掛けてしまうようになります。そして最後には、無理のしすぎに身体や精神が耐えきれずに、壊れてしまうわけです。

おそらく、長期留学で最も怖いのは、このパターンだと思います。私も自分でこれに近いことを経験しましたし、人づてに来た話では、外国人の博士課程の学生が、この悪循環に落ち込み、抜け出せなくなってしまい、燃え尽きて駄目になるというのは、良くあるパターンだということです。

だから、おそらく大半の(特に研究目的の)留学生にとって最も重要なのは、怠けないようにがんばることよりも、むしろ適度になまけて、自分を追いつめ過ぎないことだと思います。勉強が嫌になって一週間休んだところで、長い目で見れば、大きな影響はありませんが、身体や心が悲鳴を上げるのを無視して、燃え尽きてしまった場合には、下手すればその人の人生を左右するほどの災禍になりかねないからです。

無理し過ぎることの危険性は、私も十分に分かったので、それ以来、疲れたり、気が滅入りがちなときは、休憩したり、遊んだりして、回復を待つことにしています。長い目で見れば、そちらの方が、遙かに効率的だろうと思いますし、何よりも自分が楽です。たとえ目の前にやることがたまっていても、それを見ない振りして怠けるというのも、研究を続ける上で、非常に重要な技術ではないかと思います。


というわけで、今日は少々勉強をさぼって、友達とDVD を見たりしていました。大分回復したので、また明日から研究に勤しもうと思います。