ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

一夫多妻制は何故必要だったか

今日は、17世紀末のミュンスターの人口構成の研究を眺めていました。気になるところは、自分でもう一度計算し直しますし(著者の算出結果とずれたりすることが多々あるので、自分が何かを見落としているのか、単に著者の計算間違いなのか分からないので、時々混乱します)、自分が知りたいけれど、著者が計算していない部分は、当然自分で計算しなければならないので、必然的に読むのに時間が掛かり、なかなか先に進みません。

しかし、著者の分析結果をそのまま鵜呑みにしていると、後で恐ろしいことになりかねないので、面倒でも、重要な部分は自分でもう一度計算して、確かめておかないとなりません。私は、今日も子供に関する部分を重点的に検討し、自分でも色々と計算を重ね、数値を確かめていました。

統計を見ながら、色々気になることがあり、他の時代の人口構成の研究や、ミュンスター再洗礼派統治期の史料などを、とっかえひっかえ眺めていたのですが、今まで余り注目してこなかった記述を色々と再発見できました。それにより、今までよりももっと厳密にミュンスターの当時の市内の人口構成が明らかになっていき、自分がこれまで思っていたよりも、もっと状況は極端だった可能性が非常に高いことが分かりました。

そして、そのかなり極端な状況の中では、一夫多妻制が導入されても、それほど不自然ではないという推測が成り立ち、長年疑問だった一夫多妻制導入の理由が、かなり高い確度で説明できるのではないかと思うようになりました。

ミュンスター再洗礼派は、彼がミュンスターを統治し始めてしばらくすると、市内で突然一夫多妻制を導入しました。この問題は、非常にセンセーショナルですし、これまでも研究はされてきていたのですが、個人的に今一つ導入の理由を納得できないできました。

しかし、もしかすると、この一夫多妻制導入の理由を、かなり説得力があるかたちで、説明できるのではないかという手応えはつかみました。もちろん、まだ単なる思いつき段階なので、これから史料を再検討したり、他の研究者の方のご意見を聞いたりして、細部を詰めなくてはなりません。

これが上手く論文まで繋がれば良いと思いますが、一方で思いつきレベルの推論には、致命的な見落としが隠れていることも多いので、そう楽観視はしていません。しかし、当面の目的がかなり明確化してきたので、とりあえずこの問題を追いかけようと思います。