ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ウィーンとスロバキアの道路

ドイツは、アウトバーンだけでなく、田舎に行っても、見事が道路が走っている国です。私は、旅をしたときに、その国のインフラの整備の度合いを見るために、わりと道路に注目します。ドイツの道路の良さは、社会的インフラの行き届いた整備のされ方と合致しており、フランスやイタリアは、ドイツと比べると大分見劣りするというのが、旅をしたときの私の個人的な印象です。そのため私は、南に行くと、社会的インフラ整備は次第にいいかげんになっていき、北に行くと、隅々まで整備されるようになるという印象を受けました。

ヨーロッパを旅していると、ヨーロッパの北と南の違い、もっと言ってしまえば格差というものに気づかざるを得ません。整然とした北ドイツの街に住んでいると、かつてマックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を書く前にイタリアに療養に行き、余りの違いにショックを受けたというのが、実感を持って理解できます(訂正:ここで想定していたのは1906年のシチリア旅行で、この旅行は『プロ倫』執筆後に行われたので、順序が逆でした)。

このように私はヨーロッパの南北の違いに大きな関心を持っているので、私のドイツ国外への旅行は、各国の社会的インフラ、あるいは人々のメンタリティーの「南度」そして「北度」を計り、その地理的分布を計るということが最大の目的になっていると言っても過言ではありません。そのため、オーストリアに行ったときも、スロバキアに行ったときも、そういう観点で街や景色を眺めていました。

ウィーンは、そういった意味では、ドイツよりも南的だと感じました。つまり、ドイツほどにはインフラの整備は行き届いていないということです。たとえば、ウィーンの中心部でも、道路や歩道にひび割れた部分や、でこぼこした部分が結構見られました。

今回掲示した写真は、ウィーンのVolkstheater という立派な劇場の前の歩道ですが、御覧の通りアスファルトがかなりひび割れています。また、傷んだ部分を何度も補修した様子が見て取れます。補修した部分が継ぎ接ぎになっているので、見栄えはかなり悪いと言えるでしょう。

人通りが激しくて傷みやすいこと、またなかなか本格的に修理しにくい場所だということを考慮しても、余り誉められた修理の仕方ではないと言えると思います。

また、中心部でも、結構壁が酷く汚れていたり、壁の一部が剥落している、余り手入れされていない建築が散見されました。

また、プラター公園前の地下鉄駅周辺は、ゴミが散らばり、建物にはスプレーで落書きがしてあるなど、かなり荒れた雰囲気でした。そのため、同行したギリシア人の一人は、首都なのにこれほど汚いとはウィーンは第三世界かと酷評していました。

首都というのは、その国の中でも特殊と言うところがありますし、私もウィーンを隈無く見て回ったわけではないので、断言はしかねますが、全体的な印象では、やはりウィーンは、ドイツよりもやや南度が上がるのではないかという印象を受けました。


一方、旧共産圏のスロバキアに訪れた私は、予想通り道路の状態が著しく悪い様を見ることが出来ました。道路の継ぎ接ぎ修理や、ひび割れは当たり前で、アスファルトが剥げて穴が開いているところもかなり多いなど、道はかなり激しく傷んでいました。

また、歩道の敷石も、ずれたり、外れたりしている部分が多く、修理が必要な状態にも関わらず、修理されずに放置されているということが見て取れました。

また、住宅についても、一戸建てに関しては、空き家、補修中の家、壁の一部が崩れたり、屋根が歪んで波打ったりしている家がかなり多かったです。旧共産圏時代に建てられたと思われる画一的なデザインのアパート群は、外側は、まだそれほど傷んでいる感じはしない建物が多かったです。

私は、スロバキアの道路を見て、旧共産圏国家は、もう社会的インフラを必要最小限、あるいはそれ以下しか保つことが出来ないような状況にあるのだろうと思わざるを得ませんでした。

それでも、私が見たスロバキアの街は、オーストリアの国境近くで、オーストリア人が結構お金を落としていそうなところだったので、もっと内陸のディープスロバキアは、どのような状態にあるのか見てみたくなりました。