ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

オランダ低地地方の農村風景

ドイツとオランダは隣り合った国ですが、農村風景はずいぶんと違います。私は以前アムステルダムの空港に飛行機で飛んだとき、眼下の風景を見て、唖然としたことがあります。何故なら、アムステルダム周辺の耕地が、直線と直角ばかりの非常に人工的な構造をしていたからです。

この直線と直角は、主に水路、そして道路によって形作られています。普通農村風景といえば、複雑なかたちに分けられた耕地、曲がりくねる道路や水路によって形作られるものですが、低地地方の農村風景は、直線的な水路によって耕地が分けられ、その間をやはり直線的な道路が走るという、およそ農村的とは言いがたいものになっていました。そのため、上空から見ると、まるでコンピューターの基盤のようにも見えました。

何故、オランダの低地地方が、このような直線的な風景を持つようになった原因をさかのぼると、この低地地方が、元々ほとんど湿地や沼だったことにたどり着くようです。湿地には、当然そのままだと人が住めないのですが、人々はその湿地や沼を干拓することによって、放牧地や農地、居住地を自分たちの手で作っていきました。

アムステルダムの歴史博物館の簡単な展示を見たところによると、干拓は、湿地に直線的な水路を掘ることによって行われたようです。互いに平行した水路を掘ると、その水路に挟まれた土地が隆起し、乾いた土地になるようです。そうやって、乾いた土地が出来ると、さらに水路を堀り進め、乾いた土地を増やしていったそうです。このような干拓によって耕地が作られたため、低地地方の農村には、直線的な水路が張り巡らされているのだそうです。

興味深いのは、この干拓の過程で、どうも地形そのものが変わったらしいことです。アムステルダムの歴史博物館には、中世から現代までのアムステルダムの市域の変化をコンピューターグラフィックで再現したビデオが上映されていたのですが、アムステルダムが成立する前は、現在のアムステルダムが位置する一帯は、まだ全て湿地でした。しかし、干拓が進むに連れて、内陸の水が排出されたせいか、それまで湿地だった場所が、完全な海になっていくのです。現在は、アムステルダムの北には海がありますが、元々その場所も、周辺と同じように湿地だったようです。

アムステルダムが作られたのは、アムステルダムが位置する場所が海沿いの交通の要所だったからですが、中世盛期までは、その場所は湿地の真ん中で、海などありませんでした。そのため、アムステルダムが成立した時期はかなり遅く、ようやく13世紀です。つまり、アムステルダムは、干拓による地形変化の結果生まれた街だと言えます。

低地地方において、治水がどれほど重要だったかは、他の博物館の展示を見ても実感させられるところでした。たとえば、ライデンの博物館で見た展示では、16世紀後半のスペインとオランダの戦争を描いたタペストリーが飾られていました。しかし、このタペストリーには、なんと陸上の海戦が描かれていたのです。

ライデン付近は比較的水の少ない土地らしいのようで歩兵が戦っているのですが、さらに内陸に行くと、スペイン軍、オランダ軍とも、船に乗って戦っています。つまり、内陸は、船で航行が出来るほど水浸しだったわけです。しかし、ライデン周辺も、秋になると洪水が来て、水浸しになるようで、スペインに包囲されたライデンを解放しにやって来たオランダ軍は、この洪水と共に船に乗ってやって来たようです。

これは、低地地方では、近世になっても、まだ干拓が完成していなかった、そして治水が完全ではなかったことを示していると言えるでしょう。実際、近世を通じて、治水のために、様々な方策が取られたようですし、現在に至るまで、オランダでは治水は死活問題であるようです。

このように、低地地方は、元々人工的に作られた土地の上で、細心の注意を払って自然をコントロールすることで、始めて人が生きていけるようなところだったようです。あの直線によって形作られた奇妙な風景は、低地地方が人工的に作られた土地であるという歴史を、今に伝えているわけです。


オランダといえば、買春、ソフトドラッグ、安楽死などを合法化したラディカルなリベラリズムで良く知られていますが、低地地方の風景を見ていると、なんとなく納得できる気がします。つまり、彼らは中世以来、徹底して自分たちの身の回りの環境を合理的に管理すると言うことを行い続けてきたので、その合理性を、社会制度や法制度でも発揮することは、不思議ではないように感じます。

買春やドラッグ、あるいは安楽死の合法化は、様々な国で反対が多い政策だと思いますが、おそらくこのような政策に反対する人たちの多くは、政策の効果を合理的に考慮したからではなく、感情的に許容できないから反対しているのだろうと思います。これらの問題は、人々の基本的倫理観や伝統的な価値感に直接触れる、最も感情的になりやすい問題だろうと思います。そのため、多くの人は、政策的合理性以前に、先ず結論ありきで反対するのだろうと思います。

しかし、純粋に合理的に考えた場合、犯罪や被害を防ぐために、買春やドラッグを合法化し、当局の管理の下に置くというのは、有力な選択の一つではあるでしょう。実際に、アムステルダムでは、ソフトドラッグ解禁後、麻薬中毒者はかなり減ったようで、効果は上がっているそうです。

ただ、実際には、多くの場合、人々の感情的な抵抗感が強いため、なかなか実現することは難しい政策でもあると思います。しかし、オランダでは、他の国が躊躇してしまうような法案を、率先して通してしまうことがあります。これは、伝統的な倫理観や価値感に基づく感情的な抵抗感よりも、法案成立による効果を優先させるからでしょう。つまり、オランダには、感情的な判断の軽視、合理主義的な判断の重視という精神文化があるのではないかと思います。

法律というのは、国家、あるいは社会の骨格であり、いわば生存環境を形作るための基盤のようなものだと思います。大昔から徹底して環境をコントロールすることで生き残ってきた人々の子孫が、合理主義的判断に基づいて、法制度を整備するのは、当然といえば当然なのかもしれません。

いずれにせよ、オランダ低地地方の風景を見て思ったのは、彼らが合理主義的にものを考え、商人として成功し、カルヴィニズムを受け入れ、急進的な法案を成立させるというのは、やはりこのような環境の中で育ってきたからなのだろうと、なんとなく思いました。