ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

日々の由無し事。

・ありがたいことに、ドイツにも、夏はやって来ます。今日も酷く暑く、直射日光を浴びると、眩暈がしそうなので、なるべく木陰を探し、その下を歩きます。木々の緑の葉が風に揺れ、地面に作られた深い影がチラチラし、その向こうに白っぽくなったアスファルトと、頭上に広がる青空を見ると、「ああ、夏だ。」と感じます。

そんな時、私の頭に思い浮かぶのは、はっぴいえんどの「夏なんです」です。ドイツには鎮守の森も、ホーシーツクツクの蝉の声もありませんが、天から降ってくる強い陽差しのせいで、ギンギンギラギラの夏なのです。しかし、それも長くは続かず、気がつくと、夏はいつの間にか通り過ぎているのでしょう。

・昨日理髪店に赴いたところ、髪を切ってくれたのはトルコ人の女性でした。ドイツ語がずいぶん訛っていたので、留学生かと思ったのですが、聞けばドイツで生まれ育ったとのこと。おそらく、トルコ人コミュニティーの中で育ったため、日頃使う言葉は、ドイツ語ではなく、トルコ語だったのでしょう。

ドイツで生まれ育ったからと言って、必ずしも外国人がドイツ人と同じようにドイツ語を使いこなすことができるとは限らないと言うことは、ドイツにおける一つの大きな問題であり、遙か先に進めば、最終的にはロンドンのテロにまでたどり着きかねない深刻な問題ではあるようです。

彼女は、トルコに親族がいるので、ちょくちょくトルコに帰るそうです。私がトルコが恋しくなることはあるかと聞くと、そういう時もあると言っていました。彼女の故郷が、ドイツなのか、トルコなのかを、日本という一つの国しか知らない私には、上手く想像することができません。でも、こちらにいると、二つ以上の国を跨いで生きている人が、世界中に山ほどいることに気がつきます。

・今年の春に史上空前の失業者数を記録した我らがドイツには、その後やや持ち直したものの、依然として前年を大きく上回る失業者数がいます。しかし、ミュンスターは、長期失業者であふれかえるルール工業地帯の諸都市を尻目に、まだずいぶんと豊かなようであり、不況感を街で感じることはありません。

しかし、最近、これまで見たことのない、新しい物乞いが増えている気がします。ボロボロの服を着ていた以前の物乞いとは異なり、彼らはまだ小綺麗な服を着て、余り物乞いをするような人には見えません。しかし、彼らは街のあちこちで、道行く人の憐れみを誘おうと、地面に膝をつけ、両手を指しだし、喜捨を求めています。しかし、実際に喜捨をする人はほとんど見かけず、彼らの精神的、肉体的重労働は、余り報われているようには見えません。目抜き通りの石造りのアーケードの片隅に座り込んでいた老人は、仕事がないから助けてくれと段ボール紙に書き殴っていました。

私は、いつも彼らの前を、見て見ぬ振りをしながら通り過ぎるのですが、明日は我が身で、とても人事とは思えません。