ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

平和の間の前での演説

昨日、8月6日に、ミュンスターのど真ん中にある市庁舎の前で、演説を行いました。この演説は、反核団体の主催する広島、長崎への原爆投下60周年デモ集会の中で行ったものです。ミュンスターの市庁舎は、ドイツ全土を戦乱に巻き込み、酸鼻を極めた三十年戦争終結させたヴェストファーレン平和条約が締結された場所で、Friedensaal 「平和の間」という名前が付いている建物です。平和を願うデモを行うには、最適の場所だと思います。
市庁舎近くのランベルティ教会の前の広場には、原爆で犠牲になった死者に捧げられた、色とりどりの花で作られた十字架が作られていました。その脇には、沢山の花があり、人々が各々対価を払い、その花を捧げていました。

昨日は、土曜日なので市庁舎近くの大聖堂広場で、市が立っていました。そのため、街中では沢山の人が歩いていました。

デモ集会は、十二時から始まる予定でしたが、例によって少し遅れてから始まりました。特に、何かの団体と組んで動員をするわけでもなく、反核団体のメンバーと、その友達らしき人たち以外は、道を歩いている人が足を止めるだけなので、見ている人はそんなに多くありません。

私が演説を始めた時に集まっていたのは、3〜40人ぐらいでしょうか。九日にピアノを弾いてくれる女の子や、同じ寮の友達も来てくれて、直前まで彼らと雑談をしていたこともあって、思ったよりは緊張せず、ほとんどつっかえることなく、最後まで原稿を読めました。事前に何度も練習した成果が出たようで、安心しました。

また、私は発音が悪いので、聞いている人がきちんと理解できるかどうか心配だったのですが、後で聞いたところ、皆さん、きちんと理解できたと言うことなので良かったです。終わった後、見知らぬおじさんに握手を求められ、感謝されたり、おばさんに話しかけられたり、ヴァイマール出身の学生に、突然ウェブマガジンの原稿を頼まれたりするなど、たまたま立ち止まった人からも反応があったのは嬉しかったです。緊張しましたが、やって良かったと思いました。

今回は、早い段階で完全な原稿を作り、内容そのものではなく、上手く話すことに重点を置いて準備していたので、これまで大学のゼミで発表したときよりも、ずっと上手く話せました。そのため、やはり外国人にとっては、できるだけアドリブを入れず、原稿を、ゆっくり、分かりやすく読んだ方が、良い発表が出来ると思いました。今後は、その場で原稿の内容を補足するようなことはせず、きちんと原稿を読むことに専念しようと思いました。さすがに、路上で、不特定多数の人たちの前で演説するよりも厳しい状況で話す機会はないと思うので、今回人前でドイツ語で話すことに関しては、かなり自信がつきました。