ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

女の子と遊ぼう。

もう、発表の期日も明日に迫ったということで、仕上げの段階に入っています。今日の朝10時からドイツ人の友達に講演の文章を直してもらう約束をしていたので、それに間に合わせるために、昨晩は明け方まで文章やパワーポイントの直しを入れていました。

そのため、寝不足でふらふらの状態で友達のところに行き、それから2時ぐらいまで3時間以上根を詰めて、文章を直してもらっていたので、終わった時は、さすがに疲労困憊になっていました。しかし、自分で書いたドイツ語を直してもらうのは、いつもながら少々辛い経験です。文中に残る間違いは数知れず、文章を赤で埋め尽くされるので、自分のドイツ語能力の無さを再認識させられるからです。しかし、単語の選択の際、あるいは意味が通じない場合でも、辛抱強く私と話し合って、丁寧に直してくれる友人には感謝感謝です。

しかし、思ったより文章直しが長引いたせいで、待ち合わせの時間に遅れてしまいました。現在開催されているミュンスターの州立博物館での第二次大戦に関する展覧会を、ある日本人の子と一緒に見に行くことになっていたのですが、二人とも月曜に博物館が閉まることを忘れていて、結局今日は見れませんでした。

私はすでに疲れ切って何もやる気力がなかったので、彼女を誘ってしばらくカフェで休みました。我々は綺麗な景色が見れると言うことで外に座ったのですが、最初晴れだったのに、どんどん雲行きが悪くなり、最後には雨が降り出したので、散々でした。天気が悪いだけならまだ良いのですが、日が陰ると、途端に気温も下がり、震えるような寒さになってきました。そのため、二人で話す内容も、夏はいつやって来るのだろうと言う、さみしいものになってしまいました。

しかし、毎日ジャンパーを着て生活しているミュンスター人にとって、インターネットで見る日本の暑さは遠い別世界のことのようです。8月に入っても、長袖を着ない日がないので、何とかもう一度夏の暑さを味わいたいのですが。

その後、彼女と別れ、インターネットでもしようと、図書館に行くと、入り口で知り合いの韓国人女性とたまたま会いました。彼女と立ち話をしていると、たまたま明日の講演会でも発表する予定の反核運動家の学生が通りかかり、この間のデモ集会が地元紙で採り上げられていたと教えてくれました。また、土曜の私の演説で、何人かの人が泣きそうになっていたと教えてくれました。

私は、原稿を読んでいる最中には、一呼吸入れる時に、ちらりと聞いている人の方を見るだけだったので、そのことに気づきませんでした。私の演説は、被爆者に関する基本的な情報をまとめただけのものだったので、私は余りに無味乾燥すぎるのではないかと心配していたのですが、そうは受け取られなかったようです。それを聞いて、手間を掛けた甲斐があったと思う一方、聴衆の要求水準は余り高くないと言うことが分かり、明日の講演に対する心配も大分無くなりました。

その後、前から一度いっしょにご飯を食べようと約束しつつ、まだ行っていなかったので、今日はその女性といっしょに日本食を食べに行きました。彼女も博士課程の学生なので、お互いの研究の話しも若干しつつ、ドイツ料理の悪口と、日本料理の礼讃をしながら、彼女は焼き鳥、私はラーメンに舌鼓を打ったのでした。

彼女は、今二冊も翻訳の仕事を抱えているそうなのですが、羨ましい限りです。学術書や論文の翻訳の仕事というのは、どうやって回ってくるものなのでしょうか。私も、ミュンスター再洗礼派関係で、日本に紹介しなければと思っているドイツ語の論文は、色々あるのですが。

そんなこんなで、食事をした後、家路に向かいました。私は、帰りのバスに揺られながら、そういえば今日は朝から晩まで、3人の別々の女性と二人きりで過ごしたという、大変女性に縁がある一日だったことに気がつきました。日頃の女っ気のない、殺伐とした生活を考えると、大変希有な日だと嘆息しました。

いよいよ明日は、講演会当日なのですが、知り合いのロシア人の仕切が非常にグダグダなせいで、講演会はあさっての方に向かっており、講演そのものの成功は、かなり危ぶまれる状況にあります。意味もなく発表者の数が増え、その結果講演時間がやたらと長くなりそうなので、居眠りをせずに乗り切れるかどうか心配です。

しかし、催しとしては失敗し、途中で聴衆が皆帰ってしまうなど、会場に気まずい空気が流れることが予想されるにせよ、とりあえず自分の責任の範囲内で全力を尽くし、聞いている人に聞いた価値があったと思ってもらえるように努めるより他ありません。