ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

先達たちは亡くなっていく

私はまだ性懲りもなく、Kühlerの使った戦闘可能男性の人数が書いてある史料を探し出したいと、悪あがきをしようとしています。とりあえずミュンスター再洗礼派の専門家に聞いても駄目、文書館に行っても駄目と言うことで、最後に残った可能性は、オランダ再洗礼派の専門家に聞くことです。ブリュッセルは、昔16世紀オランダの行政の中心という言うことで、実はオランダの研究者は、結構この文書館で調査を行っているようです。

たとえば、S. Zijlstra, Om de ware gemeente en de oude gronden. Geschiedenis van de dopersen in de Nederlanden 1531-1675, Leeuwarden, 2000. の118ページには、私がこの間読んでいたSchenk van Tautenburg の1534年4月23日の手紙について言及があります。註には、刊行史料ではなく、文書館とコレクションの名前が書いてあるので、未刊行であることが分かります。彼も私が見つけた史料を、ブリュッセルで読んでいたわけです。

また、オランダ再洗礼派研究の大家A. F. Mellink もブリュッセル国立文書館で調査をしたことがあるようですし、彼らが調査の時にKühlerの使った史料を見たかもしれないとは推測できます。

ただ、問題は、Zijlstra もMellink も、もう亡くなっているという事です。Mellink は世代が大分上の人なので仕方がありませんが、Zijlstra 氏は、 まだ50代で亡くなったと聞いています。私が名前を知っているオランダ再洗礼派研究者は、他にはL. G. Jansma 氏くらいしかいません。彼の著書を見たところ、ブリュッセルの史料は使っていなかったので、彼がその後ブリュッセルで史料調査を行ったかどうかは分かりません。そのため、質問を出来る人も、私は余り思い浮かべることは出来ません。

手紙で色々質問をさせていただいているキルヒホフ氏にせよ、先行世代が次第に年を取ってきて、研究の第一線から引いていっています。ミュンスター再洗礼派を扱う研究者はとにかく人数が少なく、層が非常に薄いので、先達が亡くなってしまうと、分からないことを聞ける人がますます少なくなってしまいます。

その前に色々と質問をし、知識を継承しなければと思うのですが、それにも限りがあります。個々の研究者は、論文として明文化されたもの以外にも、非常に多くの蓄積を抱えているので、研究者が亡くなるたびに、そのリソースがこの世から消えてしまいます。先達の先行研究を読み、その方がすでに亡くなっていることを知ると、活字にならなかった彼らの知識は、永久に失われてしまったことを思い起こさせられます。