ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

アンチキリストと中世末の修道院改革

来週の火曜までにレジュメを書かないといけないということで、1524年に出版された「Der Deventer Endechrist (デフェンターのアンチキリスト)」*1についてのレジュメをせっせと書いています。

この『デフェンターのアンチキリスト』は、宗教改革初期の時代に民衆語で書かれたカトリック側の著作という変わり種です。元々はラテン語で書かれたのですが、民衆語の著作によって、自分のたちの考えを急速に広めている宗教改革派に対抗しようと、著者は民衆語でも書こうと決心したそうです。

この本の著者は、Iburg (イーブルク)修道院長監督下にあるベネディクト会の女子修道院MalgartenのPater (修道司祭)だったPaul Boeck(e)man (パウル・ブークマン)です。彼は匿名で著作を書いていて、なかなか著者が分からなかったのですが、著作の中に残る僅かな手掛かりから、研究者たちが見事身元を突き止めました。*2著者の正体が次第に明らかになっていく様は、呼んでいて手に汗握る面白さだったのですが、それはまた別の話です。

この人は、ゲルダー公や、ユトレヒト司教、イーブルク修道院長などと共に、ゲルダー公領Hulsbergen のFraterhaus *3を、ベネディクト会の修道院に改革し、この新設の修道院修道院長になった人です。

この人は、修道院の乱れた風紀がルターのような異端の広まる原因になっていると考えていたので、厳しい規律を取り戻すための修道院改革を強く主張していました。私はこの修道院改革について良く知らないのですが、多分15世紀からすでに行われていたことではないかと思います。

というのは、15世紀半ば、ミュンスターのエギディ女子修道院(シトー会)でも、やはりベネディクト会によって修道院改革が導入されています。この改革の時も、イーブルクの修道院長が一枚噛んでおり、彼がヴェストファーレンや東ネーデルラント修道院に大きな影響力を持っていたことが伺えます。

ただ、私は、何分中世末から近世初期の修道院改革に関する一般的な知識がないので、少々困っています。しかし、デフェンターのアンチキリストの真の目的は、修道院改革の促進をアピールすることのようなので、とりあえず良い文献がないかと探してみなければなりません。

*1:Hermann Niebaum, Robert Peters, Eva Schütz und Timothy Sodamann (Hrsg.), Der Deventer Endechrist von 1524. Ein reformationsgeschichtliches Zeugnis, 1: Faksimile-Druck mit einführenden Beiträgen, Köln/Wien, 1984.

*2:Robert Peters und Eva Schütz, Die Deventer Drucke eines bisher anonymen Benediktiners. Bemerkungen zur Überlieferung, Intention, Verfasserfrage und Sprachproblematik, in: Jos M. M. Hermans und Robert Peters (Hrsg.), Humanistische Buchkultur. Deutsch-Niederländische Kontakte im Spätmittelalter (1450-1520), Münster, 1997, S. 163-185.

*3:標準的な訳語が分かりません。共同生活兄弟会で良いのでしょうか?