ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

それ修道院じゃなくない?

15世紀の修道院改革に関する論文を読みました。*1この論文は、ヴェストファーレン修道院改革のみを扱っているので、全体像は今一つ分からなかったのですが、修道院改革が必要になった背景が詳しく説明されていたので、非常に参考になりました。

修道院改革前夜の15世紀前半は、修道院が風紀的にも、経済的にも衰退しきっていた時期だったそうですが、驚いたのは、当時ほとんどの修道士、修道女が、修道院に住んでいなかったことです。彼らは、家族のところに帰ってしまったか、自分の家を持って、そこに一人で住んでいたそうです。私は、修道院というのは、修道士や修道女がみんないっしょに住んでいるところだと思っていたので、ずいぶんと驚きました。

修道院は、当時既に騎士や貴族の子弟の扶養施設と化しており、宗教施設としての役割が機能不全になっていたそうです。そもそも、修道士、修道女が一人一人ばらばらに、俗人に混じって生活しているという時点で、修道生活ではないので、どうしようもない状態だったと言えるでしょう。

この時期はシスマでカトリック教会が揺れている時期で、コンスタンツ公会議バーゼル公会議で、改革について話し合われ、これがきっかけとなり、教会改革が活発になったそうです。

改革が導入されたのは、ベネディクト会とシトー会の修道院、女子修道院で、改革には、司教たちも活発に参加したそうです。諸侯が、修道院改革に積極的だったのは、やはり自らの領地の領邦化を進めるためだったようです。

ヴェストファーレンでは、15世紀後半に多くの修道院が改革されたそうですが、これらの修道院のほとんどは、改革導入後、古来の修道生活を取り戻し、19世紀初めの世俗化の時代まで、その生活様式を守ったとのことです。つまり、修道院改革は、大きな成功を収めたと言えます。

ここで疑問に思うのは、宗教改革修道院改革の関係です。宗教改革が広まった理由の一つに、反教権主義がありましたが、特に修道院は激しい非難と攻撃の対象になっていました。15世紀に大規模に修道院改革が行われ、かなりの数の修道院の規律が回復されたにもかかわらず、宗教改革修道院が堕落していると非難され、特に激しい憎しみの対象になったのは、何故なのだろうと少々不思議に思います。

もちろん、改革された修道院は、全ての修道院の極一部で、大半の修道院は堕落したままだったのかもしれません。あるいは、修道院改革が行われる以前、困窮していた修道院が、改革導入により、経済的に立ち直ったことと、人々の修道院に対する反感の増大には関係があるのかもしれません。修道院が、手工業や商業の分野で、市民と競合していることは、市民を大いに憤慨させていたからです。この辺は、さらに突っ込んで調べていく必要がありそうです。

また、この論文の中に出てくるNonnen とStiftsdamen の違いが良く分かりませんでした。Nonnen は誓約により禁域制*2に拘束されていたが、Stiftsdamen はもっと自由だったとありますが、Stiftsdamen は、Fraterhaus などに住んでいた在俗の女性だったのでしょうか。Kloster とStift は、違うものなのかも、良く分かりません。Stift も明らかに修道院の意味で使われている場合があるので、どう区別して良いものか困ります。細かい宗教用語が出てくると、正確に理解するのが難しいです。

追記キリスト教関係で困ったときは、やはりTRE (Theologische Realenzyklpädie)を見るに限るということで、Stift について調べてみました。Stift と言う用語はかなり多義的ですが、Augustiner-Chorherren アウグスティヌス会やPrämonstratenser のことも指すそうです。

Chorherren は、中世盛期のグレゴリオ改革で広まったそうですが、Devotio Moderna (新しい信心運動)の中心となったのもこのAugustiner-Chorherren でした。Gerhart Groote の弟子のFlorentius Radewijns が1386年に、Windesheim にAugustiner-Chorherren 修道院を建て、ここからWindesheimer Kongregation が発展しました。このWindeheimer AKongregation が、北ドイツに大きな影響を与え、Bursfelder Kongregation による修道院改革を促進させたようです。

また、Stift には、修道誓約を行わず、共同生活を行う在俗の女性の共同体という意味もあり、Stiftsdamen の中には、元々Devotio Moderna から生まれたFraterhaus に住む女性たちも入ると思われます。

*1:Gleba, Gudrun, Die Ordensreformen im 15. Jahrhundert und ihre Umsetzung in den praktischen klösterlichen Alltag, in: Hengst, karl (Hg.), Westfälisches Klosterbuch. Lexikon der vor 1815 errichten Stifte und Klöster von ihrer Gründung bis zur Aufhebung. Teil 3 Institutionen und Spiritualität, Münster, 2003, S. 101-129.

*2:修道院内の修道者の居住区等に世俗の人間の立ち入りを制限・禁止すること;また修道者が正当な理由なしに修道院の外部に出るのを禁じること。川口洋『キリスト教用語独和小辞典』同学社、参照