ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

反キリスト?アンチキリスト?

「デフェンターのアンチキリスト」についての発表のために、補足説明のため、ベネディクト会の修道院改革に関する文献を集めました。Bursfelder Kongregationは、私はこれまで知りませんでしたが、結構メジャーなようです。自分の無知を思い知ります。

一方、日本から持って来たは良いが、放置され、埃をかぶっていたバーナード・マッギン『アンチ・キリスト。悪に魅せられた人類の二千年史』*1を今更ながら読んでいます。

面白いのは、昔の人がやたらアナロジーにこだわることです。アンチキリストは、人の子たるキリストのアナロジーで、悪魔ではなく人でなければならず、キリスト同様一度死んで再臨することになっているそうです。

「デフェンターのアンチキリスト」の中でも著者は、ルターを、ムハンマドやSergius、Ariusなどのアナロジーで語っているのですが、このアナロジー思考というのは、昔はずいぶん好まれていたのだなと思いました。

antichiristos という言葉は、anti という多義的な接頭辞を伴っており、「キリストに代わる者」や「偽キリスト」、「キリストに対立する者」を意味しうる。この語は、実際、これら三つの意味で用いることができたのであり、後になっても、これら三つの意味を込めて使われ続けた。

『アンチキリスト』77頁。

ちなみに私は、これまで何の考えもなく、Antichrist を反キリストと表記していたのですが、反キリストだとこの三つの意味の「キリストに対立する者」という意味ばかりを強調しがちだと思うので、意味がはっきりしないように、「アンチキリスト」とそのまま表記するのが一番無難ではないかと思いました。そのため今後は、アンチキリストという表現を使おうかと思います。

*1:松田直成訳、河出書房新社、1998年。