ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

孤独にまつわる愉快な映画『Sommer vorm Balkon』

今日は、夜に、コロキウムをサボって映画を見に行きました。今日見た映画は、『Sommer vorm Balkon』(バルコニーの前の夏)というドイツ映画です。実は今日、この映画の主演女優の一人Nadja Uhl (ナジャ・ウール)が、ミュンスターの劇場に来る予定だったので、それに合わせていったのです。しかし、生憎彼女は急病になったそうで、結局実際に拝見することは叶いませんでした。

しかし、映画の方は、そんなことを全く気にさせないほど、素晴らしいものでした。

この映画は、ベルリンのある古アパートに住むNike (ニケ)とKatrin (カトリン) という二人の女性を軸にした物語です。

カトリンは、39才の失業中の女性で、12才の子供と二人暮しで求職中です。この映画の冒頭は、カトリンが、著しく緊張した面持ちで面接試験に臨んでいる場面から始まります。実はこれ、本物の面接ではなく、面接対策を教える学校の授業の模擬面接だったのです。模擬面接が終わった後、生徒や先生から、「自信が無さそう」や「相手の目を見て話して」などと容赦のない指摘が飛びます。

しかし、カトリンは、その後も面接に行っては断られ、職を得ることが出来ません。39才という彼女の年齢も、彼女の求職をより一層困難にしています。

ニケは、訪問で老人介護を行う介護士です。彼女が受け持っているのは、ボケて記憶が定かでない男性、アコーディオンを弾いて歌うのが大好きな女性、そして寝たきりで身動きが出来ず「学校に行かなきゃならん」と繰り返す男性です。

カトリンとニケは、とても仲良しで、いつも夜二人で、ニケの部屋のバルコニーに座って、おしゃべりをしたり、悪戯電話をしています。お互い、仲の良い友人は、他にいないようで、だからいつも二人でいっしょにいるという部分もあります。

というのは、ニケに新しい彼氏が出来ると、ニケは次第にカトリンと疎遠になっていくからです。ニケがなかなか相手をしてくれなくなると、カトリンはいっしょにお酒を飲む相手もいないくらい、独りぼっちになってしまいます。

彼女は、相変わらず面接に行っても落とされ続けつつ、自分も彼氏を見つけようとしますが上手く行きません。終いには、男を引っかけに行ったディスコで出会った男に、自分の部屋の前であやうく強姦されそうになってしまいます。この時は物音に気づいた息子がドアを開け、男が逃げたため未遂で終わったのですが、押し倒され、半裸で横たわった姿を、あろうことか自分の息子に見られてしまいます。彼女は、その後さらに浴びるようにアルコールを飲み続け、急性アルコール中毒で病院へ運ばれていきます。

一方、新しい彼氏ができたニケも、彼氏が自分の素性をなかなか話さないことにに苛立ち、次第に不信感をつのらせていきます。


と、そんな感じで話は進んでいくのですが、この映画では、基本的に大きな事件は何も起こりません。この映画は、二人の主人公を軸にして、様々な人々の生活、そして人間関係を、丹念に、そしてユーモラスに描いていく日常劇だからです。そのため、この映画は、物語そのものというよりは、登場人物の会話や、緻密な描写の積み重ねで黙して語るタイプの映画だと言えるでしょう。

そのため、この映画のディテールの作り込みは実に見事です。たとえば、面接口座のメンバーは、でっぷりしてはげた中年男性、スカーフをかぶったトルコ人女性、黒人男性、中国人っぽいアジア人の男性など、いかにも職を得るのが難しそうな人ばかりです。

また、この映画の中に何度も出てくるコーラが、本物のコカコーラではなく、必ずALDIなどの安売りスーパーで売っているまがいもののコーラなところも、登場人物の経済状態を間接的に物語っています。

また、映像も、奇を衒った撮り方はしていないのですが、手持ちカメラを多用し、リアリティーを感じさせるように撮影しています。特に、この映画の幾つかの場面では、ドキュメンタリーと見間違うような撮り方をしています。

さらに、役者も、脇役含めて、ミスキャストが全然無く、皆良い味を出しています。特に主役の二人の女性の演技は素晴らしく、カトリン役のInka Friedlich (インカ・フリードリヒ)は、追いつめられた中年女性の切迫感や孤独感を、ニケ役のナジャ・ウールは、元来大変な美人であるにもかかわらず、劇中は美人さを感じさせない軽薄な感じを醸し出しています。


この映画が描いているのは、バツ一子持ちの失業女性、独り身の介護士、痴呆や寝たきり老人、トラックの運転手、タバコを吸ってる子供、精神病院の患者など、恵まれた状況にない人々ばかりです。言うなれば、社会のメインストリームからこぼれ落ちた、負け組の人々ばかりです。

彼らに共通しているのは、皆多かれ少なかれ孤独なことです。カトリンやニケが彼氏をあれほど欲しがるのは、単にセックスをしたいだけではなく、誰かといっしょにいたい、孤独から抜け出したいという衝動があるからだということは、映画を観ているとなんとなく伝わってきます。

また、ニケは仕事で介護をしているにもかかわらず、老人たちは、多かれ少なかれ、ニケにそれ以上のものを求めてしまいます。彼らは一人で生活していて、ニケ以外に人との関わりがなくなってしまっているか、家族がいても、感情的な結びつきはすっかりなくなってしまっています。だからこそ、彼らは、唯一の他人との関わりである、ニケとの関係に多くを求めたくなるのです。

カトリンは、仕事というかたちで社会と結びつくことが出来ず、自分を承認することができません。唯一の友達だったニケとの仲が次第に疎遠になっていくと、彼女には、大人同士の人間関係がすっかりなくなってしまいます。そのため彼女は孤独や自己嫌悪で泣きじゃくり、アルコールでその苦しさを紛らわせることしかできません。

ニケの彼氏も、自分のことを彼女に話そうとせず、いつもはぐらかしてばかりでいるなど、彼女に心を開こうとしません。彼には、別れた妻と子供がいるという噂がありますが、それがトラウマになっているからか、彼は真面目に答えようとしません。彼は、女性から女性へと渡り歩いていますが、相手に自分をさらけ出すことのできない孤独な男です。

ニケは、彼氏に求めたものを得られず、結局別れてしまいます、その際に、カトリンとも仲違いをし、彼女もまた孤独になってしまいます。また、自分がしている仕事についても疑問を抱かないわけにはいかないところもあります。

ほとんど全ての登場人物が、何らかのかたちで孤独感を感じているので、この映画が、日常の描写を通じて、彼らの孤独感と儚い人間関係を描くことを主要な目的にしていることは確かでしょう。

ただ、この映画がリアリズム一辺倒の辛気くさい映画かというと、それは全然違います。むしろ、この映画の真価は、リアルな日常劇を徹底してやりつつ、全編にユーモアをふんだんに散りばめ、観客を笑わせるところにあると言えるでしょう。この映画は、コメディーと言っても言い過ぎではないくらい、笑える場面が多く、地味でシリアスな状況を描きながら、全然深刻にならず、最後まで楽しく見ることが出来ます。

監督のAndreas Dresen (アンドレアス・ドレーセン)によれば、この映画はEinen »heiteren Film über Einsamkeit« つまり「孤独についての愉快な映画」です。さすが自分が作った映画だけあって、見事にこの映画の本質を一言で言い表していると思います。


この映画は、不況と失業と将来への希望のなさに呻吟し、地縁や血縁から切り離された不安定な人間関係しか持っていない大都市に住むドイツ人の現状を見事に描き出しています。そして、この映画は、ユーモアたっぷり、そして愛情たっぷりに、そのような状況下で生きている人々の生活を描き出しています。この映画の主人公二人たちは、自分の感情や欲望に忠実で、自分の心理や行動をきちんと律することが出来ない人たちです。ある意味で、彼らは負けるべくして負けるくらい愚かだと言えるかもしれません。しかし、彼らは良く笑い、そして良く泣く、愛すべき人々として描かれています。

しかし一方でこの映画では、フィクションにありがちの安易な救いの手は、一切差し伸べられません。彼らの孤独は最後まで癒されることはないし、カトリンの仕事が見つかるわけでも、ニケと彼氏の関係が上手く行くわけでもありません。彼らを取り巻く状況が厳しいことには変わりがないし、問題は何も解決されていません。そういう意味でも、この映画は、とてもリアルです。

この映画を観た後私は、社会の階層分化についてずいぶんと考えさせられました。この映画は必ずしも、階層の二極化を描いた映画ではありませんが、そこまで射程に入れて作ってある映画ではあります。明確なテーマも、明確な主張も表に出てこない映画ですが、だからこそ多くのことが汲み取れる奥の深さがあると思います。個人的には、この映画は、業田良家の『自虐の詩』と、根底で通じるものがあると思いました。

この映画が扱っているような状況は、もうドイツだろうが、日本だろうが、ありふれたものになっているのではないかと思います。私がドイツに滞在して思うのは、日本が抱える問題も、ドイツが抱える問題も、根底ではそれほど変わりがないのではないかと言うことです。

その意味では、この映画は、ドイツ人だけでなく、日本人も、アメリカ人も、フランス人も、韓国人も、自分たちのことを描いた映画として見ることが可能だろうと思います。


この映画は、公開してすぐに観客動員が10万人を越えたそうですし、もしかすると『Goodbye, Lenin!』のようにロングヒットするかもしれません。新聞の映画評を読む限り、批評家筋の受けもすこぶる良いようですし、おそらくそのうち日本に上陸することでしょう。というか、日本にも来てもらわないと困ります。私は全ての台詞を理解できたわけではないので、やはり一度字幕つきでも観てみたいのです。

とにかくユーモアたっぷりで、シリアスだけど笑えて、登場人物たちのことがきっと好きになる、愛らしい映画だと思います。