ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ハンブルクは寒かった。

週末旅行シリーズということで、ハンブルクに行って来ました。ハンブルクと言えば、ドイツ第二の大都市にして、ハンザ同盟の中心都市と言うことで、行かないとマズイだろうと思い、重い腰を上げて行ってきました。

ハンブルクの中心部は、第二次大戦の時に爆撃でほとんど破壊され、古い街並みが復元されなかったということで、非常に近代的な街並みが続き、殺風景と言えば殺風景です。また、街の大きさの割には、教会がしょぼいのも印象的でした。また、ハンブルクには9世紀に大司教座が置かれ、大聖堂が建造されましたが、現在この大聖堂は存在していません。どのような経緯でなくなったのか、気になるところです。

ハンブルクには、1500年頃には約1万人しか人口がいなかったらしく、思ったより小さかったことに驚きました。しかし、16世紀に経済的に大きな飛躍をしたらしく、1600年には約3万人にまで、人口が急速に増大したらしいです。そのため、この時期に、市域が大幅に拡大されました。

ハンザ同盟は16世紀にもなると衰退していきますが、ハンブルクは、新大陸との貿易の恩恵にあずかれたようで、むしろ16世紀と17世紀に非常に栄えたそうです。この時期都市の人口や市域が急速に拡大するというのは、ライデンやアムステルダムなどのオランダ諸都市と良く似ていると思いました。

ハンブルクは港町と言うことで、Pt. Petliという旧市壁のすぐ外側にある地域、つまり昔の郊外に大歓楽街があります。アムステルダムでは、娼婦は大きなガラスの窓越しに客を勧誘しますが、ハンブルクでは、通りに立って、直接客を勧誘していました。ドイツでもオランダ同様売春は合法で、登録制になっているということです。

とは言え、中には、東欧やロシアから人身売買で連れてこられ、無理矢理街に立たさせられている女性も含まれているのでしょう。

通りに立っている女性が娼婦かどうかは、着ている服ですぐに分かります。ピンクなど派手な色のダウンジャケットに、ジーンズにブーツを来ている人が、商売をしている人のしるしだそうです。目立つことは目立ちますが、全然セクシーな格好ではないので、何故このような衣装がユニフォームになったのだろうと疑問に思いました。

ハンブルクの歴史博物館は、私がこれまで見てきた歴史博物館でも、質量共に、最も素晴らしいもので、非常に面白かったです。ハンブルクの街の歴史だけでなく、近世の裕福な市民の部屋が幾つも再現されていたり、19世紀の女性の衣装が飾ってあったり、精巧な鉄道模型が走っていたり、昔の船が再現されたり、ユダヤ人の歴史が紹介されていたり、特別展も充実していました。

ユダヤ人の歴史をずっと見ていると、時代を越えた傾向として、経済的利益、あるいは国民統合のような合理的な考え方に基づき、支配者がユダヤ人を保護したり、社会に統合しようとしたのに対し、市民や聖職者が排除しようとしていたこと言えるかなと思いました。近世にも度々、市民による反ユダヤ人的な騒動が起こっていたようです。

ハンブルクでは、近世の新市街に、ユダヤ人、カルヴァン派、メンノー派、イギリス人、スカンジナビア人など、様々な場所から来た、様々な信仰を持つ人々が住んでいたそうです。旧市街では、ルター派以外は許されなかったようですが、新市外では、宗教に関する統制がゆるかったようです。

現代でも、60年代以降やって来たトルコ人などの外国人の多くが、昔の新市外に住んでいるようです。多分、戦後出来た新しい郊外には、もっと沢山の外国人が住んでいるのではないかと思います。郊外という地理的周縁性と、外国人という社会的周縁性が結びつくことは、ハンブルクでは、今も昔も同じのようです。