市場と宗教
こちらに持ってきた網野善彦さんの『日本の歴史をよみなおす』を、読み直していました。その中で、大変興味深い記述がありました。
実際、江戸時代以降の職人の世界や商人の世界の信仰の状況について考えてみますと、鎌倉新仏教とのつながりが全体として非常に強いと思われます。このような観点から日本の社会における宗教のあり方についてもう一度考え直し、再検討してみる必要があるのではないかと私は考えております。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズム資本主義の精神』のようにはいかないとしても、日本の社会の場合にも、これと共通した問題を、鎌倉新仏教と商業、金融あるいは手工業とのかかわりのなかに探っていくことができるのではないかということです。(76頁)
昔の日本では、商業や金融、手工業が賤しいものとされていたようですが、ヨーロッパでも、手工業はともかく、大規模な商業や金融に敵対的な見方が長い間支配的だったようですし、お金に対する恐怖感、あるいは賤視というのは、結構普遍的なものなのでしょうか。現在も、日本に限らず、社会の根底には、このような考え方が残っているようにも感じます。
ちなみに、マックス・ヴェーバーの説は、今でも大変有名ですが、歴史学の世界では、かなり旗色が悪いようです。宗教改革というと、ヴェーバーの『プロ倫』と結びつきが深そうですが、実は宗教改革を扱う歴史学者が、ヴェーバーのこの論を自分の研究で用いることは、ほとんどありません。また、批判的な研究者も多いようです。*1
しかし、宗教と商業や金融の関係というのは、やはり興味深いテーマではないかと思います。ヴェーバーのテーゼはさておき、カルヴァン派、メンノー派やユダヤ人のような宗教的マイノリティーが、逃亡先の経済発展に寄与したという記述は良く目にするので、個人的に気にしておきたいテーマではあります。
このように商業、交易、金融という行為そのもの、あるいはそれにたずさわる人びとの社会的な地位の低下と、宗教が弾圧されてしまったということとは、不可分なかかわりをもっていると考えられますが、それが近代以降の日本の資本主義のあり方にどのようにかかわってくるかというところまで見通す必要がある。(77頁)
とありますが、その後このような研究は現れたのでしょうか?私は日本史は、全くの門外漢なので良く分かりませんが、凄く面白そうなテーマだなと思います。