ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

不安定な文書館員の職

毎日文書館に通っていると、さすがに職員の方々にも顔を覚えられてきたり、他の利用者の方と知り合いにもなってきます。というわけで、今日は、帰りのバスの中で、良く市立文書館に来ている方と少しお話をさせていただきました。

その方は、現在ある企業から依頼を受けて、その企業の歴史を調査しているそうです。彼女は、もう10年くらい文書館員として働いているそうですが、定職に就いているわけではなく、色々な文書館、あるいは私企業などから様々な仕事を受けて生計を立てているそうです。つまり、フリーの文書館員というわけです。

現在、文書館にきちんとした職を得るのは難しいらしいです。というのは、どこの文書館も、予算をどんどん減らされているので、人を雇えないそうです。また、予算削減に伴い、文書館からの仕事が減ったため、その方は、一般の企業などからも仕事を請け負わなければならないそうです。そのため、かなり不安定な立場にあるようでした。

その方の言葉で印象的だったのが、財政が逼迫したときに一番先に予算が削られるのは、文化や研究についてだと行っていたことです。私はその真偽を判定できる知識は持ち合わせておりませんが、色々な方々の話を聞いていると、そうなのかもしれないと思います。大学も、かなり予算を削られているという話は、良く耳にする話です。

日本でも研究者を目指すというのは、経済的に考えれば、たいがい自殺行為ですが、ドイツでも、下手をすれば日本よりもさらに自殺行為のようです。私の周りには、結構ドイツ人の博士課程の学生、あるいは博士号を取った学生がいますが、本気で大学の教員になろうとしている人はほとんどいません。リスクが高すぎるからです。こちらでは、日本と異なり、博士課程を出た後でも、一般企業に就職することが可能なそうなので、そのせいもあるでしょうが、基本的には余りにリスクが高すぎるからのようです。

こちらでも、たとえば研究者になりたい人が、アメリカに行ってキャリアを積むとか、向こうで就職してしまうということは、ちらほら聞きます。アメリカは、競争が厳しく大変な一方、ドイツや日本よりも大学の数が多く、就職できるチャンスが多いという面もあるようです。現在のドイツに漂う閉塞感を肌に感じていると、やはり、チャンスがあるということは凄く重要なことなのだろうなと思います。

話があさっての方向にずれましたが、歴史学って、本当にお金にならなくて、ご飯を食べるのが難しい学問だと実感する次第です。今後は大学で働くにせよ、文書館で働くにせよ、たとえ一時的にお金になったとしても、いつお払い箱になるか分からないのだろうと思います。