ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ここのところの動き

とにかく日々色々あるわけですが、それ故にというか、遊びで文章を書く時間は、なかなか取れません。というわけで、忘れないように、備忘録を付けときます。

土曜日:すでに忘却の彼方

日曜日:Emden行き。オランダの都市に似ている。Urlich von Dornum 主催のオルデルスム宗教会議には、カールシュタットやメンノー・シモンズも参加。

16世紀後半に逃亡オランダ人受け入れにより栄えるが、彼らが帰ると衰退。その後は、19世紀初めを除き、余り栄えず。余り交易に重要でなかったエムス川。Grosse Kirche は、かつて西北ヨーロッパカルヴァン派の拠点。プロテスタントと教会の再建(ハンブルクも参照)。博物館のおばちゃんと、フリースラントの教会墓地、第二次大戦の市街地大破壊について話す。エムデンでは、メルキール・ホフマンは知られていない。

月曜日:Rosenmontag。生物学徒及びその一族郎党、ルクセンブルク人含む少女たちと祝う。Kleine Kiepenkerl の上の階から下界を眺める。主催曰くダルタニアンの格好をさせられ、髭を描かれる。他には、ピエロやゴスな魔女、インディアン、ジョニー・デップスマーフ、メキシカン等々、お歴々が仮装なされる。通りで菓子を集める。キャラメルと飴とHaribo とポテチとソフトキャンディーと。ビール瓶を持った人々が闊歩し、通りがゴミだらけになると、「ああ、ドイツだなあ」と感じる。紙袋を逆さにかぶった子供、エレファントマンな子供。赤く髪を染めた子供は、長靴下のピッピっぽかった。11時から6時までカーニバルの宴会に興じる。その後、Placebo を聴きながらギリシア人夫妻とGoogle Maps を見る。

火曜日:文書館でひたすら作業。その後、夜の7時よりキリスト者宅にて、蕎麦とPriester お手製のプルコギに舌鼓。サヨナラとサヨナーレスに大爆笑。カトリックのPriester の深い孤独。アルコール中毒と女性との関係に走る人が続出。ドイツのプロテスタントでは、牧師夫妻の3分の2が離婚。牧師の浮気が主な原因。弱く敬虔な女性が最も危ない。ギリシャ正教の司祭の妻は、共同体の女性から見張られているため、質素な格好しか許されず辛い。妻の同意がないと聖職者に叙任されないので、聖職者になれない旦那。また、叙任前に離婚される。プロテスタントからカトリックに改宗した妻帯した司祭。修道院に入る前に結婚していた修道士の下に子供が遊びに来る。子持ちの司教。愛と束縛、自由と孤独。家族の問題。善性と神性に関連はあるか。神と出会うことの個別性と神秘性。偶然と神秘という理解の仕方の違い。

水曜日:雑用各種を済ませる。午後から文書館で作業。夕方音楽家二人と、楽器店へ。その後、Marktcafe で、ヨーグルト風味のFurchtetee を飲みつつ、エルザス地方の名物料理Flammkuchen を食す。細かい技術水準を理解する同じ楽器の人間だけでなく、他の楽器を演奏する音楽家にも理解できる演奏を心がける。深さと広さの両立。その後、好例の会合に。久々の再会。ほぼただ働きとコネとお金と奨学金と博士課程ともしかしてアメリカ行き。「抱いて下さい」と同性愛。ブスとHexe。大雪。