ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

歴史学と社会理論をどう考えるか?

本日は、院生、学部生の有志で、ピーター・バークの『歴史学と社会理論』の読書会をしました。とりあえず、今日は、歴史学社会学の関係を、両者が未分化だった18世紀から、歴史学社会学の学問的方法論の確立により、互いに距離ができてくる19世紀までの流れをざっと追いました。

歴史学者社会学者は、自分が知っている狭い範囲でも、お互いかなり不信感を持っているという気はします。しかし一方で、歴史学は、史料批判以外、固有の方法は必ずしも持っておらず、*1社会学などの他の学問分野から方法を借りて来るということが必要であり、実際に行われてきたという側面もあります。

私も、今後研究を進めていくためには、他の諸分野の方法や視角を取り入れていくことは絶対に必要だと感じているので、歴史学社会学の相互補完の必要性を主張するピーター・バークには、非常に共感できるところがあります。

読書会が終わった後、研究室の同僚と、しばらくの間、歴史学の方法論や隣接諸科学の方法をいかに取り入れるか、歴史学の基礎をどのように教育できるか、自助努力に基づく徒弟的な訓練以外に研究者を育成する方法はあるか、カリキュラムの合理化の可能性、歴史学の社会的有用性をいかに主張するか、資金を得るための理屈はどのようなものが有効か、昔と比べいかに職が減ったか、学際的交流はプロジェクト単位でないとできないのか、個人単位の交流は可能か、隣接諸科学の方法を身につけるのは、個人の自助努力のみで可能か、他学科に人脈を作ることの難しさなど、様々なテーマについて、色々と話しました。

周りの人たちと、このような歴史学の置かれている状況について意見交換をすることは、これまでなかったので、大変面白く話をさせていただきました。みんなかどうかは分かりませんが、日頃口には出さないけれども、やはり考えている人は考えているのだということが分かりました。

しかし、このようなことは、歴史学の研究者だったら、多かれ少なかれ考えていることだと思うので、意見交換を、もっと色々な人たちと、色々な機会を使ってしてみたいと思いました。歴史学者も、もっとブログとかで、自分の意見をどんどん書くようになったら面白いのになと、思わないことはありません。

*1:史料批判も、元はと言えば文献学の方法でしたが。