ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

失われたもの

史料を読んでいてつくづく実感するのは、ここに書いてあることは本当に信頼性に乏しく、そして量的に極わずかだということです。当時の社会のほとんどの情報は、誰にも書き留められることなく、永遠にこの世から姿を消してしまったのです。だから、後世の人間が過去について知ることができることは、前近代では本当にわずかです。この失われた情報の莫大さと比べれば、言語論的転回などは、歴史学の不可能性にとっては、副次的なことだと言えると思います。歴史学をやるということは、一方では、歴史のほとんどは、すでに失われて、二度と知ることが出来ないということを、より一層具体的に認識するということでもあろうかと思います。

極論を言えば、これは他の学問でも同じでしょうが、歴史学者は、負け戦を戦うしかありません。厳然として存在する冷徹な物理的な限界の枠の中で、泥にまみれ、必死で過去の痕跡を探し、その限界内での無矛盾が、過去の現実を反映しているという、究極的には全く根拠のない前提を信仰しながら、バラバラに散在する痕跡を組み立て、混沌から秩序を取り出したつもりになるというのが、歴史学者の日々の営みでしょうか。

しかし、たとえ負け戦であろうとも、戦うからには全力を尽くすしかありません。結局最後は、「それでも」やるんだという、シニカルな熱情のみが、研究を根拠付けるような気もします。