ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

フランス革命期における女性

Chorolynさんが、ミシェル・ヴォヴェル『フランス革命と教会』を詳細に紹介していました。私が気になるのは、やはり自分の研究と関わる、社会運動における女性の役割です。

それでは逆に、非キリスト教化運動への抵抗はどこまでわかるのか?多くは、女性がかなり運動に抵抗していることがわかります。

例えば、プリュヴィオーズ24日(2月12日)、国民公会が受け取ったソーヌ=エ=ロワール県シャロール民衆協会の報告書によると、「狂信の祭壇を倒壊せしめたために、地方のいくつかの村で女だけによる騒擾が起きた。」「偽善者ともの女たちへの影響力と、彼女たちの神秘的なものへの嗜好の結果なのか」、などとタラタラ文句が。

革命後、旬祭日(休日)になると、男は居酒屋や市場で飲み、論争していた。ところが女たちには村でもはや何もすることがなかった。つまり、日曜日に教会にいくことが、村の女性たちの気晴らしだった。騒擾はそこから発生したと。というわけで、自治体は女性の気晴らしを提供し、予算を捻出しろなどと指示されます。

2006-09-11


ただ、天野知恵子さんの「フランス革命と女性」という論文*1によると、女性は、非キリスト教化運動に参加したのみならず、革命運動にも、反革命運動にも参加し、一定の役割を果たしたようです。

革命期において、女性たちはいつも男性たちとともにその場にいた。(中略)そして、革命議会を傍聴し、当局に誓願に押しかけ、政治クラブの議論にも加わった。だが、その数はつねに、男性に比べれば少なかった。男女両性に門戸を開いた政治クラブにおいて、女性が占めた割合は15〜25%である。さらに、数はもっと少なくなるが、より積極的な行動にでた女性たちもいた。ある者は民衆蜂起の先頭に立ち、ある者は女性の政治クラブを組織して活動した。一七九五年に投獄された民衆活動家のうち、女性の占める割合は一二〜一五%である。他方では、反革命にかかわった女性たちもいた。一七九二年から九四年においてパリで逮捕された反革命容疑者のうち、その一四%を女性が占めている。(中略)また、反乱地帯で難民化した人びとのなかには多くの女性がいたし、聖職者に課せられた厳しい試練は、修道女たちにも突きつけられたのである。

フランス革命と女性」(36-37頁)


中近世においても、宗教運動や社会運動に女性が熱心に関わっていた例があることは、様々な研究で指摘されているところだと思います。ただ、史料的制限が厳しい中近世では、近代のように、計量的な手法を使って、女性の運動への参加を計るということは、ほとんどの場合極めて難しいと思います。そのため、運動における女性の役割や、重要性、あるいはその運動に参加した動機などを明らかにするのは、たいていの場合非常に困難だろうと思います。特に女性は、基本的に男性からは無視されている存在なので、史料にほとんど出てこないので、なおさら正確な把握が難しいのです。

ミュンスター再洗礼派運動は、支持者の圧倒的多数が女性という、異常なほどに女性に人気があった運動なのですが、史料不足のために、その実態はほとんど全く明らかにされていません。というか、史料がないので、永久にできません。そういう意味では、相対的に信頼性の高い史料が、相対的に山のようにある近代史は、少し羨ましいです。

*1:天野知恵子フランス革命と女性」(若尾祐司、栖原彌生、垂水節子編『革命と性文化』山川出版社、2005年、11-40頁)