ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ようやく史料を読み終える

ここしばらく読んでいた史料をようやく読み終えました。この史料は、通称「異端の懺悔の書 Das Ketter-Bichtbok」という史料で、*1カトリック側が、福音派と再洗礼派をひたすら非難するという風刺詩です。この詩は、同時代にミュンスター住民によって書かれたということで、反乱者(福音派と再洗礼派の区別は、この詩の中ではかなり曖昧)の固有名が多く挙げられ、彼らの行動が風刺されています。正直、記述の信頼性は、かなり低いのですが、これほど数多くの再洗礼派の個人情報が載っている史料は他にないため、大変貴重な史料でもあります。

しかし、100頁にも満たない史料を読むのに、ちょっと時間が掛かりすぎました。やはり、低地ドイツ語の史料を読むのは、非常に難しく、なかなか読み進みません。今回は、詳細な人名リストを作りながらだったので、余計に時間が掛かったということもあります。

まだ読んだだけなので、これから分析をしなければならないのですが、自分の関心と関係ないところでも、面白い記述が結構ありました。

たとえば、この詩は、中世低地ドイツ語で書かれているのですが、彼がラテン語で書かなかったのは、ラテン語や技巧的な文章を理解できる人間が極わずかだからだというのです。*2ここには、カトリックらしい、ラテン語史上主義が現れていますが、同時に、『デフェンターのアンチ・キリスト』の作者のように、民衆語で説教し、パンフレットを書く福音派に対抗するには、ラテン語ではなく、民衆語で書かなければ無理だという危機感によって書かれた、カトリック側の民衆語によるプロパガンダの初期の例でもあります。

また、これが初期近世特有の考え方なのか、中世以来の考え方とほとんど変わりないのか知りませんが、この著者のお上意識が表明されている部分があります。*3

De averkeith und alle ordnung is van Godde.
お上と全ての秩序は、神から来ている。

De der avrigkeith widerstrevig iß, de doet tiggen des heren gebodde.
お上に抵抗する者は、主の命令に反している。

Got will sine ordnung nich laten unfergaen.
神は、彼の秩序を没落させるつもりはない。

He will der avrigkeith und siner ordnung in noiden bystahn.
彼は、苦境にあるお上と彼の体制を助けるつもりだ。

De avrigkeith mot sien um des gemeinen besten und freddes willen.
お上は、公共善と平和を望まねばならない。

De avrigkeith mot de uprorschen und gewoltlichen boven stillen.
お上は、反乱と暴力的な悪者を静めなければならない。

De avrigkeith is van begin der welt van Gott ordineret.
お上は、この世のはじめから神によって任命されている。

De avrigkeith is oick alltied, de de welt regeret.
お上は常に世界を支配する。

De avrigkeith is van Got gegieven und befollen dat schwert,
お上は、神によって剣を与えられ、命令されている、

den frommen tho gudde und den quaden thor straff, der se sind um misdaeth werth.
敬虔な者に幸せを、悪党に悪事に相応しい罰を(与えるために)。

ずいぶん支配者に都合の良い論理ですが、このような考え方は、カトリック福音派を問わず、初期近世では当たり前のものだったと思います。お上、つまり領邦国家では領邦君主、都市では市参事会に逆らうことは、御法度だったわけです。とは言うものの、実際には、反乱は頻繁に起きていましたし、お上の命令をその臣民が無視するということはさほど珍しくないくらい、当時のお上の権力基盤は脆弱でした。その脆弱だったお上、特に領邦君主の力が急速に強くなってくるのが、まさにこの初期近世であり、そういう意味で、この鯱張った表現は、近世っぽいなあと思わないことはありません。

しかし、一方では、暴君に対する抵抗権が存在するという考え方も、社会の中に潜在しており、大きな社会運動の中では、時折顔を出したりもします。ミュンスターではその抵抗権の考え方が、大爆発してしまったわけですが、それはまた別の話です。

*1:in: Stupperich, Robert (Hg.), Die Schriften der Münsterischen Täufer und ihrer Gegner. 2. Teil. Schriften von katholischer Seite gegen die Täufer, Münster 1980, 133-224.

*2:Vers 3344ff.

*3:Vers 3241-3250