ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

保守主義の歴史とリベラルの失敗

南山大学社会倫理研究所の2004年度第5回懇話会で、中山俊宏氏が「アメリカが保守化した背景およびその外交的インプリケーション」という講演をしたそうです。この講演では、戦後のアメリカの保守主義の歴史が俯瞰されています。

ここで時代をさかのぼって、一九五〇年代に保守派が台頭してきたときにリベラル派がそれをどのように解釈したのかということについて若干お話しさせていただきたいと思います。

ダニエル・ベル、ルイツ・ハーツ、リチャード・ホフスタッターなど当代一流の知識人は、保守主義の萌芽みたいものを、いずれも反知性主義、排外主義、孤立主義、偏狭な反共主義マッカーシズム)など、反動的な感情の一時的な表出に過ぎないと解釈しました。単純化すると、彼らは、「保守的なるもの」を、ジョン・バーチ協会、ミニットマンなどの極右異端勢力に封じ込め、保守化現象をアメリカにおける大きな知的地殻変動の兆候ではないと解釈しました。つまり彼らは、右翼勢力の台頭を歴史に取り残された勢力の一時的なバックラッシュ現象でしかないと見なしたわけです。六〇年代が「進歩と変革の時代」であったことも、彼らの解釈の正しさを示す証拠として受け止められました。

保守派を逸脱現象として解釈する傾向は、それ以来ずっと一貫して続いてきました。さきほど申し上げたゴールドウォーターが一九六四年に大統領候補になったときにも、いわゆるエスタブリッシュメント・メディアは、ゴールドウォーターを無知蒙昧な危険な政治家と分類しました。レーガンも、多かれ少なかれ同じように位置づけられました。一九九四年にニュート・ギングリッチ率いる共和党下院議員が久しぶりに議会で多数派を獲得した際も、「怒れる反動的な白人の男」が立ち上がってギングリッチを支えのだという評価しかせず、一時的な逸脱現象と見なされました。

二〇〇四年大統領選挙におけるブッシュ大統領の勝利も、本来の「進歩」からの逸脱として解釈されました。終末論的な思想を信じる宗教保守派集団(エヴァンジェリカル)が、信仰心のあついブッシュ大統領を一致団結して支えて勝利をしたのだと。恐らく、常にこういう「悪玉さがし」をリベラル・エスタブリッシュメントはやってきたんだろうと思います。

確かに今回の選挙で宗教保守派は極めて大きな役割を果たしました。しかしながら、もう少し大きな政治文化の変容がアメリカに起きているということを見極めることのほうが大切だと思います。それは、連邦政府に対する不信感とか、価値相対主義に対するある種のバックラッシュとか、そういった変化です。保守化現象を、単に反知性主義、もしくは排外主義の表出とみなすべきではなく、もう少し大きな政治潮流の変化があるということを見極める必要があります。いずれにせよ、一九五〇年代のリベラル派の知識人は、保守主義運動のポテンシャルを正確に予測することはできませんでした。気がついてみると、保守主義運動はホワイトハウスまでも手中におさめていたわけです。


保守主義者は、政権を奪取することを求めて、政治活動に積極的に参加していったそうです。大学はリベラルに抑えられていたものの、自分たちでシンクタンクを作り、政治家に積極的に働きかけ、勢力を拡大していったそうです。

アメリカの保守主義あるいはファンダメンタリストの伸張を考えた場合、どうも60年代、70年代の社会の急速な変化が大きく影響しているということになりそうです。余りに調子に乗ってイケイケで進んでいると、敵対者の恨みエネルギーが高まってきて、反撃を喰らうということなのでしょう。今は、アメリカで保守主義が強くなっているようなので、今現在リベラルはフラストレーションを溜めまくっているでしょう。そのため、そのうち彼らのフラストレーションが爆発して、「アホでマヌケな」保守主義者やファンダメンタリストに対するバックラッシュが起こる日が来るのでしょう。