17世紀の寺子屋
久しぶりにWunder, Heide, Er ist die Sohn, sie ist der Mond. Frauen in der Frühen Neuzeit, München 1992. を読み返しているのですが、この本の中で、Winkelschule についての記述がありました。(S. 124)
ヴンダーによると、手工業者の妻はお金を扱わなければならなかったので、娘は頻繁に学校へ送られたそうです。多くの都市では、Winkelschule という私設の学校、寺子屋のようなものが開かれており、そこで少女たちは読み書きそろばんを学んだのだそうです。
1673年のブラウンシュバイクでは、39のWinkelschule に600人の子供が通っていたそうです。7つの学校の生徒のうち、70人が少女、33人が少年だったので、寺子屋に通うのは女の子の方が多かったことになります。
一方、市参事会に認可されたドイツ学校 Deutsche Schulen の生徒は減ってしまったそうです。16世紀初頭は160人の子供が学んでいたが、30年戦争後は40−60人に減ってしまった。他の都市では知りませんが、少なくともブラウンシュヴァイクでは、公立の学校よりも、私設の寺子屋の方が人気があったようです。
以前ケルゼンブロークの著作を読んでいるときにこのWinkelschule のことが出てきていたので、それ以来ずっと気になっているのですが、もう少し詳しい情報が知りたいところです。