ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

双曲割引は進化論的にどう説明されるか

id:Shorebirdさんのブログで、エインズリーの『誘惑される意志』についての日記が上がっていました。その中で、双曲割引がどのように進化論的に説明できるかの仮説が書かれていました。

ありそうなのは,個人の効用の評価関数が不安定だということだ.今欲しいものは明日には欲しくないかもしれない.2年後ならなおさらだ.この評価期待値の低減率が時間に対して一定でなく,ある条件が満たされているうちは小さく,何らかの事情が生じて必要でなくなると急に大きくなるのであれば双曲割引の方が合理的だろう.

もうひとつ考えられるのは,将来に入手が確実だということは動物でもヒトの農業以前の環境でもあまりなかったであろうということだ.入手確率は一定割合で逓減するのではなく(それなら指数的に割り引くべき)ある条件の満たされているうちは低減率が低く,どこかで(嵐があったり,別の誰かに食べられたりして)急に入手確率が低くなる状況が多かったのかもしれない.

双曲割引の進化的な説明について


友野典男さんの『行動経済学 経済は「感情」で動いている』では、指数割引も含めた将来の利得の割引一般の理由を、以下のように説明しています。

現在の1万円は今使えば効用を生み出すが、1年後の1万円は今は効用を生まないから、現在の1万円を重く見るのは自然である。また将来は不確実であるから、実際に入るかどうかわからないし、自分の好みが変わってしまうかもしれない。(中略)

さらに損失回避性の影響も考えられる。消費や受取の時期を延ばすことは損失と考えられ、損失を回避しようとする性向によって将来の価値を割り引くのである。

哲学者のデレク・パーフィットは、現在の自己と将来の自己とは別の人間であると捉えることができ、その関係は、自分と他者の関係と同様であるという。そして、自分と他者の間が遠くなれば関係が薄くなるように、現在の自己と将来の自己もある程度遠い関係なので、将来の自己が得るであろう効用を、現在の自己が割り引いて考えるのはごく自然だと主張する。

(222-223頁)

仮説がいくつか提示されていますが、具体的な根拠や典拠は示されていないので、おそらくどの仮説もきちんと検証されたわけではないのだろうと思います。

双曲型割引を補完する役割を果たすヤコーヴ・トロープとニラ・リバーマンの時間解釈理論では、対象が時間的に離れているときと近い場合で対象を違った観点から見ていると考えるそうです。つまり、「時間的に離れた対象に対しては、より抽象的、本質的、特徴的な点に着目して対象を解釈し、時間的に近い対象に対してはより具体的、表面的、瑣末的な点に着目して解釈する」のだそうです。(244頁)

何故このような時間解釈が生じるかは、現実には将来の出来事に関する知識は少ないのが普通であり、低次の情報の信頼は低い、またはそもそも入手できない場合がある。また、遠い将来に関する決定は、変更したり延期することもできる。したがって、低次の解釈は軽視して良いからだと解釈されるそうです。(248頁)

どのような説明が妥当なのかは私には良く分かりませんが、いずれにせよ時間選好は、未来の不確定性や未来予測に関わっていると思われるので、個人的には、やはり未来予測が困難で、不完全にしかできない環境が普通だったので、一見近視眼的に見える双曲型の時間選考の方が、適応的だったのではないかと思います。

現在の人間社会のような人工的な環境では、思いもよらない出来事が生じる可能性がかなりの程度排除されており、物事が計画通り進む可能性が高いので、指数的な割引の方が合理的な場合が多いかも知れません。しかし、予想できない出来事が次から次へと生じるような自然環境下では、長期的な計画を立てても、物事が予想通りに行くとは限らないでしょう。そのため、たとえば食べ物を手に入れた場合、貯蔵するよりすぐに消費してしまった方が合理的だったのかも知れません。

仮説の検証は難しいと思いますが、たとえば、1.予期できない出来事が起こる頻度、2.その生物の状況を把握し未来を予測する知能の高さの二つを変数にして、指数型割引に則って行動する場合と双曲型割引に則って行動する場合と、どちらの適応度が高いかをシミュレーションし、双曲割引の方がより適応的であるような条件を探るような研究があれば面白いのではないかと、素人ながら思いました。


参考:過去の日記


誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか

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行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

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