ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

アカデミック・ハラスメントを生き延びるために

東北大学の大学院理学研究科で、指導教官に2年連続で博士論文の受け取りを拒否されたために院生が自殺したという事件がありました。このニュースは、このようなアカデミック・ハラスメントに関する事件では珍しく、マスメディアで大きく取り上げられているようです。


ではこのような事件が珍しいかというと、さすがに自殺は珍しい(と思いたい)ですが、指導教員の嫌がらせで学生が学位を取れなかったり、大学を辞めざるを得ない状況に追い込まれたり、精神的に苦しめられたりすることは、それほど珍しくないことであろうと思います。

NPOアカデミック・ハラスメントをなくすネットワークのサイトで公開されている「アカデミック・ハラスメント 事例集(1994年〜2008年)」では、数多くの事例が載っています。

http://www.naah.jp/kenkyu/akaharajirei9408.pdf

また、全国国公私立大学の事件情報でも、アカハラパワハラについての事例を見ることができます。

http://university.main.jp/blog6/archives/cat13/

また、「all about japan」でも「大学院の実態〜教員の学生に対する倫理の崩壊〜 大学教授・助教授による嫌がらせ」という記事で事例が紹介されています。

http://allabout.co.jp/study/adultedu/closeup/CU20040323A/

これらのサイトで紹介されている事例を見ると、指導教員が学生の学位取得を妨害するという、今回の事件と同様のアカハラ行為がこれまでも数多く行われてきたことが分かります。

ただし、このようなアカデミック・ハラスメントが外部に知られるようになるのは、訴訟が起こされたり、大学が教員の処分を発表するなどしてマスメディアで取り上げられる場合だけです。しかしおそらくほとんどの場合、このようなアカハラがあっても、圧倒的に立場の弱い学生が泣き寝入りして事件は外部に知られないままになるでしょうから、実際に大学内で起こっているアカハラ行為は、表面化した事例よりも遙かに多いだろうと思います。

具体的に指導教員のアカハラでどのようなことが行われるかは、被害者がインターネット上で公開した告発サイトによって知ることが出来ます。今回は理系で起こった事件ですので、以下のサイトの記述が非常に参考になろうかと思います。

大学院教育 その恐るべき実態 〜 私の体験談 〜

しかし、当然の事ながら、理系だけでなく、人文系でもアカハラはあります。すでに見れなくなっていますが、以下のサイトは人文系のアカハラを告発した有名なサイトでした。

これから人文系大学院へ進む人のために


「大学院教育 その恐るべき実態」の記述を読むと、何故大学でアカハラが頻繁に生じるかが非常に良く分かります。

私の体験を読まれて、どの様に感じられたでしょうか。これは私が味わった悲惨な体験でしたが、これは必ずしも私に特異的な悲劇ではなく、どこの大学でも起きていることなのです。このような悲劇が引き起こされる原因が、大学院教育のシステムと大学教授という人間の腐敗した意識にあるのに気がつかれたでしょうか。

学位というものは、大学の入学試験や資格試験とは全く異なります。これは試験を行う者が現場を見ないで試験をやって、採点して何点取れば合格というものではありません。つまり、客観性が低く、学位を出せる成績かどうか判断する教官の主観に作用されることが大きいのです。優秀な成績を上げた、頑張った、努力したというのは必ずしも良い結果には結びつきません。いくら多くの業績を残したとしても、担当の教授が認めないと言えば不合格なのです。逆に、殆ど仕事をしていなくても、助手や技官の仕事等と併せて論文にまとめてしまい、楽に学位を取得する者も多数います。この様な状況の中で、学位が欲しい学生と成績を判断する教官との間に大きな力の差が生まれます。

そうすれば、学生はどうしなければならないでしょうか。お気付きになったと思いますが、学位を取りたいと思うならば、担当の教官との人間関係を損ねないのは絶対条件です。たとえ無茶な要求をされたとしても、どうしても学位が欲しいのなら、我慢して命令に従わなければなりません。最高学府の教授ともあろうものが、人間としての尊厳をも踏みにじる馬鹿な命令をするはずが無いと考えるかもしれませんが、それは全く見当違いです。私の経験がまさにその一例であり、このようなことは決して珍しいことではないのです。私に言わせれば、むしろ高い知性と教養を持っていると考えられている著名な教授の方が、基本的な倫理観すら持っていないケースが多いと感じています。もし学生が耐え難い命令を拒否すれば、学位取得は難癖つけられて困難になる可能性があります。大学院へ入ったなら、その時点で教授に学位という人質をとられているために、絶対の服従を強いられると考えるべきでしょう。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/5828/PS.htm


つまり、指導教員は学生に学位を与えるかどうかを自分の一存で決めることができる絶対権力者であり、学生は事実上指導教員に逆らうことができない極めて弱い立場に置かれているためアカデミック・ハラスメントは生じるということです。

このような教員と学生の間の権力関係は、全ての教員と学生の間に存在することなので、基本的にはアカデミック・ハラスメントは全ての学生にとって他人事ではないことになります。

大学での指導教員と学生の関係は、外部からは非常に見えにくい密室の中で結ばれるものですので、アカハラが起こっても、学生が声を上げるまでは公にはなりません。また、学生が大学に相談しても、状況が改善されない場合も多々あるようです。

NAAHによれば大学のアカハラへの取り組みはまだ不十分であり、「大学・大学院をはじめとする高等教育・研究機関のなかで、アカデミック・ハラスメントの問題に積極的に取り組み、それに関する規定を設けている組織は、残念ながら数えるほどしかありません」という状況であるようです。*1

つまり、学生が指導教員からアカハラを受けた場合、現状では事態を改善するために可能な対処法は限られているようです。「学生、この弱き立場 キャンパス・ハラスメント」というサイトでは、学生がアカハラを受けた場合の対処法が紹介されています。

  • 話相手を確保すべし
  • 教員を絶対視しないこと
  • 記録をまめにとること
  • 教員の言葉を可能な限り客観的に受け止めること
  • メディアを有効につかうこと
  • 卒業生の言葉を探すこと
  • 研究室をかわる・指導教官をかえる
  • 大学をかえる

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mic-a/student/essay/tactics.html


学生がアカハラを受けた場合に取れる有効な改善策が乏しい現状では、学生がアカハラに会わないためには、問題ない研究室や指導教員を選ぶという予防策が最も効果的になるだろうと思います。「学生、この弱き立場」では、研究室や指導教員の選び方、また問題のある教員の見分け方も紹介されています。


既に述べたように、大学でのアカデミック・ハラスメントが生じる原因は、教員が学生に及ぼす絶対的とも言える権力なので、このような権力関係が変わらない限り、今回のような悲惨な事件は今後も間違いなく起き続けると言うことになります。

このような悲劇は、大きく騒がれてこなかっただけで、大昔から数え切れないほど起こってきたはずです。しかし以前はそのような問題が表に現れず放置されていたのに対し、現在では少しずつ表沙汰になってきて、次第に問題視されるようになってきたという点が異なるだろうと思います。

個人的には、この問題を解決するのは、極めて難しいだろうと思います。というのは、アカハラは、教員が学生を指導するという大学における指導体制の根幹に関わる問題だからです。教員が学生に対する何らかの権力、強制力を持たなければ十分な指導をすることは難しいでしょうから、これを根本的に変えることはなかなかできないだろうと思います。

しかし、このような権力関係が保存されたままでは、教員にアカデミック・ハラスメントを行わせない抑止力は何もないままで、今後も数多くの学生がアカハラの被害を受け、精神的あるいは経済的に大きな被害を受け続けることになります。

そのため、アカデミック・ハラスメントを完全になくすることは不可能であるにせよ、アカハラが生じたときに被害を最小限で防ぐよう、外部からの監視、そしてアカハラが起こったときの外部からの介入が必要になるだろうと思います。

NAAHは「アカデミック・ハラスメント防止対策ガイドライン」を作成しているので、大学がこのようなガイドラインを参考にしながら、アカハラ被害を予防し、起きた場合でも最小限の被害で済むようなシステムを作ることが必要ではないでしょうか。

NAAH策定 アカデミック・ハラスメント防止対策ガイドライン(2004年)


今回の事件は余りに痛ましいものですが、残念ながらこの事件は、単なる氷山の一角に過ぎず、今現在もアカデミック・ハラスメントで苦しめられ、絶望している学生は、日本中に幾らでもいるだろうと思います。だからこそ、これを機会に大学でのアカデミック・ハラスメント防止の対策が進み、アカデミック・ハラスメントで学生が苦しめられる状況が少しでも改善されることを、私は強く希望します。