ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

Family of Loveとリプシウス

この間の再洗礼派勉強会で個人的に非常に面白いと思ったのは、ユストゥス・リプシウスが、Family of Love 愛の家族の信徒だったことです。この愛の家族は、オランダ再洗礼派や自由心霊派など中世神秘主義の流れを汲む神秘主義者の集団です。

何故かというと、ゲルハルト・エスライヒによれば、リプシウスは新ストア派を代表する学者で、17世紀にはジャン・ボダンを越えるほど彼の著作は良く読まれ、ヨーロッパの王侯や諸侯たちが自国で社会的規律化を進める際に大きな影響を与えたとされる人物だからです。

社会的規律化は、ヨーロッパ社会の近代化を意味しているので、リプシウスの思想はヨーロッパの近代化と切っても切れない関係にあるということになりますが、その彼がこういったセクト的な神秘主義集団の信徒であったというのは意外に思いました。エスライヒはリプシウスの神秘主義者としての側面は特に取り上げていませんでしたが、彼の思想と神秘主義の関係は気になるところです。

私は愛の家族についてもリプシウスについてもほとんど知らないので何とも言えませんが、リプシウスや新ストア主義を理解する際にも、メルキオール派以降の再洗礼派の思想的系譜を追うことが必要なのかも知れません。

Niclaes recruited his membership particularly through business contacts. Thus Christoffel Plantijn, an Antwerp printer who published his books, became a member. Some intellectuals were also attracted to the movement―the geographer Abraham Ortelius and the orientalist Justus Lipsius. One of the enigmas of the movement is how Niclaes was able to attract persons of this caliber given the simplicity and lack of clarity or logic in his own writings. Ca. 1560 Niclaes was forced to leave Emden, the authorities having discovered that the successful merchant was, in fact, a dangerous heretic. He moved to Cologne where he lived until his death.

GAMEO


The Family of Love

The Family of Love

近代国家の覚醒―新ストア主義・身分制・ポリツァイ

近代国家の覚醒―新ストア主義・身分制・ポリツァイ