ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ヘーゲルがミュンスター再洗礼派はファナティストだと言ってたそうです。

今日は休みにしたので、以下の論文を読んだ。ちなみに無料でpdfをダウンロードできます。


神山伸弘「宗教的ファナティズムの非インド的想定 : ヘーゲル『法の哲学』第五節とミュンスター再洗礼派王国―」『跡見学園女子大学人文学フォーラム』12、2014年、52-65頁。


この論文は、ヘーゲル『法の哲学 要綱』(1820年)の自由論についての考察である。ヘーゲルは、「純粋な無規定態」の自由が理論的でしかないときには、宗教的なものにおいては「インド的純粋観想」というファナティズムになると述べているそうだ。他方彼は、自由が現実へと向かうとき、「政治的なものにおいても宗教的なものにおいても、いっさいの既存の社会的秩序を粉砕するファナティズムになる」と述べた。(53頁)彼はここでの「政治的なもの」をフランス革命だと見なしていた。では「宗教的なもの」は何を念頭に置かれていたのだろうか?インド的な純粋観想のファナティズムだと見なして良いのだろうか?これが、この論文の課題である。

著者は、これを明らかにするために、ガンスが編集した「補遺」の記述を参照している。この補遺は、ホトー、グリースハイムの講義ノートを継ぎ接ぎして作られたものだそうだ。グリースハイム・ノートの第5節には、普遍的平等の状態や普遍的で宗教的な生活の状態を実現するために既存のあらゆる秩序を廃棄したファナティックな歴史現象として、「ミュンスターで起こった騒擾」と「フランス革命」が挙げられていた。(56頁)

つまり、ヘーゲルは、「理論的」ファナティズムについてインドの宗教に言及し、次に「政治的でもあれば宗教的でもある生活における活動的なファナティズム」の例として、ミュンスター再洗礼運動とフランス革命を例示していたのだそうだ。

ヘーゲルミュンスター再洗礼派のような宗教的ファナティズムとして、「クエーカー派、再洗礼派、ヘルンフート派」やピューリタン革命の担い手(58-60頁)も挙げているそうだ。ヘーゲルは、息子のカール・ヘーゲルが編纂した「歴史の哲学講義」でも、ピューリタン革命のファナティストたちはミュンスターのファナティストと同じように、「敬神の念で国家を統治しようとした」と述べていたそうだ。(60頁)

つまり、冒頭で言及された自由が現実に向かうときファナティズムになる「宗教的なもの」は、ミュンスター再洗礼派のことを指していたと言うことだ。

ミュンスター再洗礼派運動は、ランケとかカウツキーとか近代の有名な人にも言及されることがあるが、ヘーゲルもその一人だったそうだ。