ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

イスラム教徒は統合できるか?

先日紹介したオランダの事件を受けて、ドイツでも、イスラム教徒の文化統合の問題が盛んに取り上げられています。新聞でも記事や社説が数多く出て、有力政治家が、新聞や党大会などで、この問題について次々と発言し、テレビでもさかんにこの問題を扱っていました。


このような流れの中、日曜にケルンで、イスラム教徒が平和を求めるデモを行いました。参加者25000人に登る大規模なデモです。デモの中心になったのは、Die Türkisch-Islamischen Union (DITIB) トルコイスラム連合で、デモに参加した人々は、ドイツとトルコの旗や「イスラムは平和を意味する」という幕を掲げながら、ケルンをデモしました。



たまたま、夕方テレビを付けたら、このデモにおける政治家達の演説がやっていたので、私もしばらく演説を聞いていました。CSUキリスト教社会同盟緑の党SPD社会民主党)、FDP (自由民主党など主要政党の政治家、さらにケルンのプロテスタント協会の女性も演説をしていました。

演説の内容は、だいたい共通していて、イスラム教徒はテロリストではなく、平和を愛している。テロリスト、狂信者、暴力、不寛容と共に戦っていく。思想、信仰の自由、法治国家を守っていく、というようなものでした。


実際の演説は、もっと熱が入ったものですが、要するにイスラム教徒とテロを同一視するレッテルを徹底的に批判し、基本は平和主義であるということを強調し、普通のイスラム教徒と原理主義者を切り離し、無用な争いを防ぐ。信仰の自由を強調することで、彼らもドイツという法治国家の一員である、仲間であるという意識を持たせ、国民として統合していこうという部分は共通していました。

思想、信仰の自由、寛容、文化多元主義法治主義などが高らかに歌い上げられ、民主主義国家の根本を何度も何度も強調する演説ばかりで、聴いていて感動的でした。ただ、理念的な意味、法的意味でも、社会秩序を保つという意味でも、結局のところイスラム教徒をいたずらに敵視するようなことはできないので、彼らをドイツ国民として統合するよう促すような演説が行われるのは、必然的だと言えるでしょう。今更イスラム教徒をドイツから出ていかせることは、不可能なわけですから。

他方、イスラム教徒の方も、テロリズムイスラム教が結びつけられて、差別されたり、暴力を受けたりすることは避けたいということで、「イスラム教徒は平和を愛している。テロリストとは、全く違う。」ということを強調したデモを、今の時期に計画したのでしょう。


デモに際しての演説では、党派を超えた政治家が並んでいましたが、実際には、やはり党によって温度差があるようです。キリスト教系の政党であるCDUCSU が、イスラム教徒にドイツ語、ドイツの「標準文化」を受け入れるよう求めているのに対し、SPD緑の党は、もっと文化多元主義や寛容を強調し、強制的な措置は好まないようです。

http://www.sueddeutsche.de/deutschland/artikel/391/43348/

そのためか、デモの演説で、バイエルン州の内部大臣であるCSUGünther Beckstein ギュンター・ベックシュタインがマイクの前に立ったとき、かなりブーイングが飛んでいました。その後は、彼がイスラム教徒に対し友好的な演説を行ったので、少し経ってブーイングは止んだのですが、彼がイスラム教徒にドイツ語の習得をお願いした時には、また戸惑いのような反応が起きていました。ただ、彼がこの時言ったのはいたってまっとうな話で、ドイツ語を習得した方が、良い仕事に就けるチャンスが広がるということです。


ベックマンの演説でも話題に上がったように、ここで一つの大きな焦点になるのが、イスラム教徒のドイツ語の習得です。というのは、イスラム教徒の中には、未だにドイツ語を習得していない者がかなりいるからです。特に高齢の世代に多いそうですが、彼らは、ドイツ語を話さず、仲間内で固まって、Parallelgesellschafte 平行社会を作っているということです。このような環境に育った子供は、十分にドイツ語を学ぶことが出来ず、このドイツ語ができないということが、ドイツの社会に参入する際の障壁になるわけです。

これまでのドイツの学校では、文化多元主義の価値観に基づき、子供に余りドイツ語を強要してこなかったそうなのですが、そのため、移民や難民の子供がドイツ語をできるようにならず、彼らがドイツ社会に統合されないという現象が起こっているようです。

オランダでの事件がきっかけになって、イスラム教徒の社会への統合が問題になり、同時に彼らのドイツ語習得もまた、問題に上がりました。そして、CDUやCSU は、強制的に彼らにドイツ語を学ばせることで、彼らをドイツに統合しようと主張しています。

しかし、このような強制は、一方で、多数派の言語、さらにいえば文化を、少数派に押しつけるということで、文化多元主義や少数派保護には反しています。しかし、一方でドイツ語ができないまま移民が放置されてしまうと、彼らは、いつまでもドイツ社会には統合されない、さらにいえば社会的弱者のままでいるしかないという現実があります。この多数派の文化や規範の少数派や弱者に対する強制、あるいは訓練の問題は、単にイスラム教徒の社会統合の問題だけではなく、少数派、弱者を社会がどう扱えばよいのかという、より幅広い問題とも共通する、非常に難しい問題だと思います。


今回の件では、イスラム教徒の社会統合しか問題になっていませんが、私が疑問に思うのは、ドイツ社会に統合されていないのは、イスラム教徒だけなのかということです。

たとえば、この間ベルリンの壁崩壊15周年記念がありましたが、その際に強調されていたのが、東西ドイツがそもそもまだ統合されていないということです。統一から15年経った今でも、旧東と旧西に格差がありすぎて、旧西の住民と、旧東の住民の間にも、相互の無理解、敵意があるという事です。ここでは、言葉は全く問題になりませんが、満足な社会統合はなしとげられていません。

また、ドイツには、ロシアや東欧など旧共産圏から、大量の移民が流入していますが、彼らは無事ドイツ社会に統合されたのでしょうか。彼らは共産主義時代を経験し、さらに言えば、宗教も正教ですが、これらの差異は統合の障害になっていないのでしょうか。

また、イタリアやスペイン、ギリシャなどから来た移民は、どうなのでしょう。さらに、中国から来た移民、アフリカから来た移民などもいますが、彼らは統合されているのでしょうか。移民全般の社会統合の状況を私は知りませんが、多かれ少なかれ、彼らが平行社会を作っているというのはありえることだとは思います。


さらに社会統合に関して言えば、富裕層と貧困層の格差もあります。平等化の努力にも関わらず、社会階層の格差は、ドイツでも結局満足に縮まらなかったようです。そのため、下層の人々はドイツの「標準文化」を理解しておらず、ドイツ社会に統合されていないとも言えます。私は以前、CSUイスラム教徒に対し提案したのと、そっくり同じような措置が、ドイツ人の下層出身者に向けられていた例を、何処だったか忘れましたが新聞か雑誌かで読んだことがあります。


国民国家は幻想の共同体だとは良く言われますが、そんなことを言っても、日本のような元々同質性の強かった運の良い国はともかく、様々な文化的、言語的出自を持った人々を統合するためには、なんらかの人工的な統合原理なり象徴なりが必要です。ドイツにとっての統合の原理というのが、言語以外に何かあるのかというと、私には良く分かりません。

一国家内の統合だけでも大変そうですが、ヨーロッパはさらにEU に議会や憲法まで作って、ヨーロッパを統合しようという壮大な試みをやっています。しかし、この統合となると、統合原理は全く分からなくなるようです。ヨーロッパ人本人も、まだ全くリアリティーがなく、戸惑っているようですし。この前のEU 議会選挙も、特に加入したばかりの東ドイツ諸国で、投票率が非常に低かったです。

まだ一応キリスト教文化圏ということも言えなくはないのでしょうが、国家レベルでさえ政教分離がされているのですから、EU レベルで宗教が統合原理になるはずはありません。というか、トルコのEU 加入が話題に上がっている時点で、それはありえないですし。

多分、何かEU の理念とかシンボルとか、良く分かりませんが、何か統合原理を、今後試行錯誤の末に作り出していくのでしょう。その試みが、上手く行くかは分かりませんが、壮大な実験という感じで、ヨーロッパは良くがんばるものだと思います。