ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

文献を探して、広大なネットワークに潜る日。

そろそろ新しい学期が始まるころですが、授業が本格的に始まるのは、来週からなので、まだ春休みのようなものです。

とは言っても、私の目的は自分の研究にあるので、休みか休みではないかは、余り問題になりません。どちらかというと、授業がある時期の方が、授業に時間が取られて、自分の研究の妨げになりがちということも言えます。

そんなわけで、私が今籠もっているのは、大学付属の比較都市史研究所というところです。この研究所には図書館があって、この図書館には、ドイツのありとあるゆる都市に関する文献が集められています。文献の並び方も、地域、そして都市毎なので、とても文献が探しやすく、使いやすいです。

ただ、雑誌関係は余り強くないし、探している文献の全てがあるわけではないので、大学の図書館と往復しながら文献を集め、目を通しています。


あと、この図書館の良いところは、利用者が多くないということで、使いかけの本を机の上に置いたまま帰れるところです。今は、とにかく沢山の本に目を通して、使える文献を探すという段階で、とっかえひっかえ本を見ているところなので、机の上は文献で山積みになっています。

大学の中央図書館だと、もちろん使った本は元に戻さないと行けませんし、そもそも開架の本棚に置いてある文献が極限られているために、大量の文献を一度に扱うときにはかなり不便です。そのため、比較都市史研究所の図書館の方が、ずっと使いやすいわけです。


しかし、ドイツにいると、文献探しは、本当にスムーズで、欲しい文献がほぼ即時に手に入るので、嬉しくてたまりません。新しい文献を探して、あれこれ眺めている時というのは、非常に夢が広がる時間でもありますから、大変といえば大変ですが、楽しいと言えばとても楽しいものです。

文献探しをしていると、文献の註を通じて、過去の膨大な研究のネットワークが、目の前に広がるという感覚を覚えることがあります。歴史学の研究も、もう100年以上の蓄積があるわけで、その蓄積が作った広大なネットワークが目の前に現れ、そのネットワークの深みへと潜っていくというのは、人形使い、あるいは草薙少佐*1にも通じる体験であるとも言えるかもしれません。

どこまで行っても、註を媒介にして、世界が広がっていくという学問の世界は、どこまでも開いたネットワーク的な構造になっているのだということを感じる今日この頃です。

*1:漫画およびアニメーション『攻殻機動隊』を参照。