ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ドイツ唯一のレプラ博物館

今日は素晴らしい快晴で、まるで夏のように暑い日でした。新緑が眩しいこの季節は、一年のうちで一番綺麗ではないかと思います。

そんな日曜日の昼下がり、私はミュンスター郊外にあるキンダーハウスに行ってきました。キンダーハウスには、元々ハンセン病患者の収容施設があり、現在はその建物がレプラ博物館になっています。この博物館は、一週間のうち、日曜の3時から5時までしか開いていないので、今日出かけることにしたのです。

開館時間は非常に短く困りますが、その分サービスは良く、学芸員の方が館内の展示に合わせ、解説をしてくれます。また、館内には、当時の史料のコピーなどが置いてあり、無料で持ち帰ることが出来ます。ここは、博物館とは言っても、小さめの部屋が三つあるだけです。この建物は、かつてのハンセン病院の管理者の建物で、ハンセン病患者が住んでいた建物は現存していないそうです。

ハンセン病は、ウイルスのせいで、主に体温の低い部分、手や足、鼻、耳などの神経や骨などが損傷する病気だそうです。初期には斑点や染みができるのですが、病気が進展すると、手足、顔のかたちが変形してしまい、感覚もなくなってしまうという恐ろしい病気です。中近世のヨーロッパでは、ハンセン病患者は、その容貌の恐ろしさや伝染性のせいで、普通の人々から隔離され、社会の周辺に追いやられていました。

キンダーハウスには14世紀前半にハンセン病患者のための収容施設が出来、ほぼ同時期にすぐ隣に彼らのための教会が作られました。以前は北フランスの女子修道院長で貧者や病人の慈善に力を尽くした聖ゲルトルードが守護聖人だったそうですが、現在ではこの教会は、聖ヨゼフ教会と名を変えています。

今回の展示で面白かったのは、ハンセン病患者のための穴が開いている教会の展示です。ハンセン病患者は、常に人々から隔離されていたので、当然教会に入ることも許されませんでした。そのため、彼らが教会の外で礼拝式に参加できるように、教会の壁に小さな穴が開けられることがあったそうです。彼らはその穴を通して、説教を聞いたりしたそうです。ミュンスターの教会には、このような穴はなかったようですが、展示では、オスナブリュックやフランスのノルマンディーの教会の写真が飾ってありました。このような穴は、ハンセン病患者が少なく、ハンセン病院がない地方の教会に開けられたそうです。

ハンセン病患者は、全員が病院に入れたわけではありませんでした。ミュンスターでは4年以上市民権を持っている者だけが、ケルンで検査を受け、ハンセン病と認められた後受け入れられることになっていました。しかし、中世の都市には、市民権を持たない人々も多々住んでいました。もし彼らがハンセン病になった場合は、各地を遍歴し、物乞いをしながら生きるより他に術はなかったのだろうと思います。

ハンセン病院は、ミュンスターとグレーフェンを繋ぐ街道沿いに作られましたが、これは街道を行き来する人から喜捨をもらえるようにするためだそうです。

ハンセン病院の患者は、病院で一日中安静にしているわけではなく、労働が義務づけられていました。働ける限り、農作業などをして、自分の食べ物を作ったのです。

また、彼らは、様々な規則に従わなければなりませんでした。礼拝式への参加、日に二回のお祈りが義務づけられ、また性交や許可なく街中に行くことは禁じられていました。彼らは街中に行くときは、患部を人々に晒さないように、手に覆いをかぶせたり、他の人が彼らをハンセン病患者だと見分けられるように、特別な服を着て、木でできた鳴子を手に持って、鳴らしながら歩かなければなりませんでした。

ヨーロッパでは、17世紀なると、ハンセン病が退潮してしまったようで、ミュンスターでもハンセン病患者がいなくなりました。そのため、建物が建て増しされ、孤児を働かせるための作業所に姿を変えました。現在この建物は、郷土博物館になっています。

ヨーロッパではほぼ姿を消したハンセン病も、世界的には、南米、東アフリカ、南アジアを中心に、まだ残っているそうです。そのため、ドイツの医者達がハンセン病撲滅のために、これらの地域に赴き、働いているそうです。

昔はドイツ中に沢山のハンセン病院がありましたが、この博物館は、ドイツで唯一の博物館だそうです。規模自体は非常に小さいものですが、中世のキンダーハウスから現代のハンセン病についてまで、幅広い知識の得られる良い博物館でした。

以前は隔離のために周りを壁で囲まれ、市民が差し入れをするときは、穴を通じてでないとできなかったレプラ病院ですが、現在は以前あった建物や農園はなくなり、博物館に様変わりした建物の前には、小川が流れ、その周りは草原になっています。

博物館の前では、休日の昼下がり、家族連れやお年寄りが集い、楽しそうにしてますし、鮮やかな黄緑色をした草地の間を流れる小川では、子供たちがお父さんお母さんといっしょに水遊びをしています。それを見ていると、400年ほど前まで、ここが世間から隔離された人たちが住んでいた場所だったということが、何だか非現実的なことのように感じられてなりませんでした。