ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ミクロフへの旅

そのため、ミクロフの歴史については良く分からないのですが、現在のミクロフがどうなっているかは、少々周辺を歩き周り、見てきました。

先ず、一番の低地に駅があり、駅の前には新しくできた幹線道路が走っています。沿道にはポツポツと、飲み屋があり、また大きな郊外型のスーパーもありました。

また、特筆すべきなのは、この通り沿いの駅にほど近いところに二件も買春宿があったことです。そのうち一件は、沿道に堂々と「60ユーロ」という看板を出していました。スロバキアはすでにEU には加盟しましたが、通貨はまだスロバキア・コルナで、ユーロは導入されていません。そのため、この買春宿は、地元のスロバキア人ではなく、国境を越えて車でやって来る、オーストリアの男性を主な顧客にしている店であることが分かります。

60ユーロが、この辺の買春の相場として安いのか高いのか私は知りませんので、料金の問題か、それとも女性の問題なのか私には判断が付きかねますが、オーストリアよりも、スロバキアでお楽しみになりたいオーストリアの殿方達が、少なからず車で乗り付け、外貨を落とし、また国境の向こうに去っていくという風景が、この街で日々見られるということは、どうやら確かなようです。


駅と旧市街のある丘の間には、旧共産圏時代に建てられたと思われる、画一的なデザインの団地が、ずらーっと並んでいます。

丘を登ると旧市街に入りますが、城が大きいので、それ以外の家は、丘の上には余りありません。家は、せいぜい二階建ての小さいもので、中心部は観光化されているためか、鮮やかな色で壁を塗ったかわいらしい家も多く見られました。

特に城塞の周辺には、レストランや飲み屋、色々な店、観光バスや乗用車の停まる駐車場があり、ちょっとした観光地的な雰囲気になっていました。実際に、多くの人々が、この城塞を見にやって来ているようでした。ただ、話している人の言葉を聞く限り、全員スラブ系で、英語、ドイツ語、フランス語などを話す観光客は誰もいませんでした。そのため、スロバキアの人たちだけが訪れる、地元のちょっとした観光地という感じのようでした。

丘の上にある城塞は、ヴュルツブルクハイデルベルクの要塞に匹敵するとは言いませんが、かなり規模の大きい立派なものでした。城塞からは、周囲の風景が一望でき、スロバキアの大陸的な、広大な風景を眺めることができます。

城の裏には、普通の民家が建ち並んでいます。私は、普通の街並みも見てみたいと思って、少し歩き回ってみたのですが、何しろ外国人が全くいないところなので、東洋人の私は目立って仕方がなく、ずいぶんと緊張しながら歩くことになりました。

この辺もおそらく、昔の旧市街の一部ですし、一戸建ての家が並んでいるので、丘の下の新興の団地に住んでいる人たちよりは、豊かな人々が住んでいると思うのですが、壊れかけや、改修中、あるいは空き家になり長年放置され廃墟になっているような家が、多々見られました。道や歩道もかなりガタガタですし、これが旧共産圏の国の現実かと思いました。

風光明媚でとても綺麗な街なのですが、自然や観光地として整備された旧市街の真ん中以外を見ると、綺麗以外のものも自然と見えてきてしまいます。