ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

歴史学の成果は、世間で広まるか?

この間、天気が良かったので、雑木林に行き、木陰の下で論文を読んでいました。すると、犬を連れたおばさんが近寄ってきたので、しばらく世話話をしました。私がミュンスターの再洗礼派について研究していると言うと、彼女は再洗礼派は悪い奴らだった、一夫多妻制などとんでもないことをしたと言いました。

この間、ミュンスター再洗礼派を扱ったテレビドラマ『キング・フォー・バーニング』を見たときも思ったのですが、基本的にミュンスター再洗礼派に対する多くの人々の見方は、16世紀以来変わっていません。つまり、再洗礼派は、既存の秩序を破壊しようとする危険なセクトで、どうしようもない悪者だという見方です。

このような旧来の見方は、19世紀以来実証的な歴史学の研究が進むに連れて、学問の世界では次第に駆逐されていきました。特に60年代以降は、旧来の見方に潜んでいた党派的偏見に基づくテーゼは、単純に事実に反するということでほとんど否定されました。

しかし、歴史学の分野で、研究が大いに進展していても、その知見は、なかなか学者の世界から外には広がっていかないようです。

たとえば、学問分野と、世間では、そもそも再洗礼派の呼び方が違います。学問的な文章の中では、再洗礼派はDie Täufer と呼ばれるのに対し、世間一般では、Die Wiedertäufer と呼ばれます。このWiedertäufer は、カトリックプロテスタントなどの敵側が使った蔑称です。

再洗礼派の教義的な特徴は、幼児洗礼を認めず、成人になり、分別がついてから、自分の意志で洗礼を受けるという独特の洗礼観にあります。カトリックでも、プロテスタントでも、幼児は生まれてすぐに洗礼を受けさせられるのですが、再洗礼派は、信仰を持たない幼児に対する洗礼は無効であると考えます。そのため、成人になってから行われる洗礼は、再洗礼派にとっては人生最初の洗礼になります。しかし、カトリックプロテスタントの観点から見れば、幼児洗礼は有効なので、成人洗礼は、人生で二度目の洗礼、つまり「再」洗礼になります。

Die Wiedertäufer という呼称には、このような敵側の洗礼観が反映されており、蔑称として用いられてきたので、学問の世界では、決して使ってはならないとされています。しかし、日常会話で再洗礼派を呼ぶときは、ほぼ例外なくこのDie Wiedertäufer という表現が使われます。16世紀以来、使われ続けてきた言葉なので、すでに表現として定着してしまったせいなのでしょう。

この表現がまだ残っているということは、まだ16世紀以来の再洗礼派に対するネガティブな見方が、そのまま残っているということです。つまり、ミュンスター再洗礼派研究の成果が、社会に広まっていないということです。ある見方が、長い間支配的であり、十分社会に定着してしまった場合、それを変えるのはなかなか難しいと痛感します。

実は私も、歴史学に携わる者としてはあるまじき日和見さ加減で、日常生活では、いつもDie Wiedertäufer という表現を使っています。というのは、この表現でないと、相手が単語を理解できず、自分の研究の説明ができないからです。コミュニケーションのコストのことを考えると、学問的には言語道断でも、伝わりやすい表現を使った方が効率が良いので、自分でマズイと思いつつ、いつも使ってしまいます。

とは言うものの、せっかく多くの研究者が多大なる努力を重ね、積み上げてきた様々な業績が、きちんと社会に還元されていない現状は、寂しいものがあります。一応歴史学を勉強している学生の端くれとしては、そのことを嘆く気持ちは十分にあるのですが、もう一方で、普通の人たちにとっては、再洗礼派に対する偏見があろうとなかろうとどちらでも良いことで、歴史学の成果が、社会で共有されていなくても、何ら問題が無いのではないかとも思います。

このようなことを考えていると、現代の人々の考え方や行動に直接影響を与えないような知識は、間違っていても一向に構わないのではないか、あるいは、私欲のためにせよ(主観的に)公共のためにせよ、ある見方の影響力を増やそうという欲望は、無条件に肯定されるべきものかという、かなりきな臭い問題が浮上してくるわけですが、今回それについての言及は差し控えておこうと思います。