ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

資本主義が、社会をバラバラにする恐怖。

日々史料を読み、それをまとめ、ワープロで入力していますが、何となくやる気がないときに、以前コピーを取ったけど、まだ読んでいない論文を読んでいます。コピーを取るのはすぐですが、読むのは時間が掛かるので、未読文献は日々堆く積み上がり、私は、さながら多重債務者になった気分です。全ての負債を払い終える日は、果たして訪れるのでしょうか。

それはともかく、最近読んで面白かった文献は、次の二つです。

Burkhardt, Johannes, Die Entdeckung des Handels. Die kommerzielle Welt in der Wissensordnung der Frühen Neuzeit, in: Johannes Burkhardt, Helmut Koopman und Henning Krauß, Wirtschaft in Wissenschaft und Literatur, Augsburg, 1993, S. 5-28. (ヨハネス・ブルクハルト「商業の発見。近世の知の秩序における商業的世界」)

Stollberg-Rilinger, Barbara, Gut vor Ehre oder Ehre vor Gut? Zur sozialen Distinktion zwischen Adels- und Kaufmannsstand in der Ständeliteratur der Frühen Neuzeit, in: Burkhardt, Johannes (Hg.), Augsburger Handelshäuser im Wandel des historischen Urteils, Berlin, 1996, S. 31-45.(バーバラ・シュトルベルク−リリンガー「名誉より財産、それとも財産より名誉?近世階級文学における貴族と商人身分の間の社会的区別について」)

これは、以前のゼミで、宗教改革期に終末論が広がったのは、経済構造の変化に対する人々の怖れによるものだという説明がされたときに、先生から教えてもらった文献です。

ブルクハルトの論文は、16世紀以降商業が、同時代の人々にどのように受け取られたかを紹介した概説的なものです。彼によると、16世紀には、帝国議会では、独占の制限や、所有できる資本の制限などが決議され、宗教改革者は、高利貸しや商業などを徹底的に批判するなど、商業や金融業に対する反発の強い時代でした。しかし、17世紀になると、反対に商業は重要なものと見なされるようになり、その後商業が次第に学問の一分野としても発展していったそうです。

16世紀の人々の商業や金融への反発を見ると、何となく、現代のグローバリズムへの不安と反発を思い起こさせられます。

シュトルベルク−リリンガーの論文は、16世紀初を、下級貴族が没落し、富を蓄えた都市貴族との境が次第に曖昧になるなど、身分制社会が商業や金融の発展により次第に浸食されていった時代だと見なしています。このような状況の中、貴族がどのように自分たちを、商人身分と区別しようとしたか、また富と名誉の関係はどのように変化していったかが、この論文の中で論じられています。

どちらの論文も、現実の経済がどのように変わっていったかではなく、変化していく状況を、同時代の人々、特に知識人や貴族がどのように感じ、対応していったかについて述べています。宗教改革史というと、日本では、メラーの都市の宗教改革論、あるいはブリックレの共同体宗教改革論の観点から語られることが多いと思いますが、商業の発展と宗教改革の関係については、私はこれまでほとんど知りませんでした。

上記の論文では、必ずしも大商人の登場と、宗教改革、あるいは終末論の広がりとの直接的な関係が論じられているわけではないので、どういう論理で、その両者が結びつくのか、あるいはアウグスブルクなど商業が活発だった南ドイツ以外でも成り立つ論なのかどうか、後で先生に聞いてみようと思っていますが、いずれにせよ、面白い視点だと思うので、今後も暇を見て、ちょこちょこ文献を読んでいこうかと思う次第です。