ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ルターのおかげで元気が出た。

Schröer, Alois, Der Anteil der Frau an der Reformation in Westfalen, in: Bäumer, Remigius(Hg.), Reformation Ecclesiae. Beiträge zu kirchlichen Reformbemühungen von der Alten Kirche bis zur Neuzeit, Parderborn 1980, S. 641-660.

この論文は、ヴェストファーレンの伯たちが所領で宗教改革を導入するに当たって、妻が大きな影響を与えたことを扱った論文です。渡邊伸さんの『宗教改革と社会』でも扱われていたように、宗教改革を導入しようとしたのは、必ずしも民衆だけではありません。市当局や領邦君主たちが宗教改革を積極的に導入した例は多々あります。そして、ヴェストファーレンの世俗諸侯達は皆、宗教改革を導入したそうです。

この論文を読んでいて面白かったのが、ホーヤ伯Jobst2世の話です。彼は近隣の諸侯によって所領を追放され、なんとか戻ったは良いが、莫大な借金を抱え途方に暮れていていました。そんな時、妻のAnna von Gleichen によってルターの信仰を紹介され、彼の著作を読み、再び元気を取り戻したそうです。この奥さんは、チューリンゲンのルター派の家の出身なので、彼女の影響で、旦那さんもルター派になったことになります。

何故ルターの信仰を知って、再び元気を取り戻したのか、余り説明がないので良く分かりませんが、この人は、損得は関係なしでルター派になったようです。

彼はルターに学識ある説教師を派遣してほしいと頼み、アントワープ出身の元アウグスチノ会士Adrian Buxschot を派遣してもらいます。しかし、後に彼は、アドリアンオランダ語方言で喋っていたため、彼ではなく、奥さんの出身地であるチューリンゲン方言を喋るCyprian Hesse をNienburg と彼の宮殿の説教師に任命しました。

ホーヤ伯領は、ブレーメンとミンデンの間のヴェーゼル川流域が中心だったようで、低地ドイツ語圏に属します。おそらく、伯自身、あるいは領民にとっては、アドリアンオランダ語は、余り問題ではなかったはずです。にもかかわらず、奥さんのために、チューリンゲン方言を喋る説教師を呼んだのだから、奥さんの影響力は強いというわけです。

ただ、この場合は、高地ドイツ語に属す中部ドイツの方言を、彼の領民が、ちゃんと理解できたのかが問題になるような気がします。案外、ミュンスターのように、文句が出ていたかもしれません。

当時の人は、かなり広い範囲を移動することも多かったので、彼らが余所の人々とコミュニケーションする際に、問題は起こらなかったのかについては、個人的に気になっています。堀田善衛の『路上の人』では、様々な国を旅し続けている主人公は、色々な言葉をごちゃ混ぜで話していると描かれていましたが、そういう人は、実際にいたのかもしれません。