ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ケルンの文書館

Historisches Archiv der Stadt Köln (ケルン市歴史文書館)に行ってきました。ミュンスター再洗礼派研究における最重要史料であるハインリヒ・グレシュベクの目撃記録*1 のオリジナルを見るためです。

この史料は、再洗礼派統治の間実際にミュンスター市内で、ことの推移を一部始終目撃した職人の証言であり、最も信頼性が高いとされる史料です。この史料は、すでに19世紀半ばに活字になっているのですが、実は編纂したコルネリウスが使ったのはダルムシュタットにある写本であり、オリジナルはケルンにあります。

長い間、このことは余り問題にされてこなかったのですが、1993年にエルンスト・ラウバッハ氏が、ケルンにある手塙本がオリジナルであることを確認し、ダルムシュタット版との比較を行った論文が出て、さらに2001年にケルン版を使った一夫多妻制についての研究が、ラウバッハ氏の教え子によって出版されるなど、次第にケルン版を無視できない状況が出来つつあります。

基本的にダルムシュタット版は、オリジナルに忠実なのですが、ダルムシュタット版の書記は低地ドイツ語に通じておらず、極一部些細な勘違いをしたり、単純な間違いをしていることが、これまでに明らかになってしまいました。そのため、基本的にはダルムシュタット版に基づく刊行史料で全く問題はないのですが、万が一のことがないとは言い切れないのです。

刊行史料を読むのと、手書き文書を読むのでは手間が全く違いますから、できることならケルン版は使いたくなかったのですが、オリジナルで確認したい表現があったし、今後もケルン版を参照しなければならない機会は度々あるに違いないので、しかたなくケルンに行き、手書き文書を見てきました。

ケルン市歴史文書館を使うには、最初に文書館員の人に、利用の目的、身分などを聞かれ、所定の用紙に住所などを書き込み、一日に付き2ユーロ、学生は割引で1ユーロを払わなければなりません。確か、週払いや、月払いもあったと思いましたが、値段は忘れました。ブリュッセルでも、文書館の使用にお金が掛かりましたが、ブリュッセルやケルンの歴史学の学生は、お金が掛かって大変だろうと思いました。

この文書館では、史料が閲覧室に来る時間は一日5回(火曜から木曜)、9:15-9:45、10:30-11:00、12:00-12:45、14:00-14:30、15:30-16:00 と決まっています。そのため、申し込んだ時間によっては、かなり長い間待つことになります。

文書館の利用者はそれほど多く無さそうで、閲覧室は大きな机が3つ並んでいるだけで、私が行った日はいずれも10人も利用者がいませんでした。日本人のようにも見える30代半ばから後半ぐらいの東洋人の人もいましたが、もちろん声は掛けなかったので分かりません。文書館の人と話したとき、最初韓国人かと言われたので、もしかすると利用者には韓国人の方が多いのかもしれません。

この目撃記録は300ページぐらいあり、とても全部目を通すことなどできないので、私は事前に、気になるところだけざっと眺め、あとはマイクロフィルムを頼んで、すぐに仕事は終わりにしようと思っていました。しかし、現物を見てみると、この文書は、他の文書と一緒に本のように綴じられていました。

この文書の書記は、紙の左側には余白を空けるのですが、右側はギリギリ端まで使ったので、一葉の裏側の右側が本の喉に挟み込まれ、良く見えなくなっています。そのため、端を読むためには、ページを思いっきり開いて、ページの狭間をのぞき込むようにして見なければなりません。この部分は、マイクロフィルムには映らないので、気になるところは現地で全て確認しなければならなくなってしまいました。

また、横線を引いたり、余白に書き込んだり、修正をしたりしているところも結構あったので、その部分の確認もしなければなりませんでした。そのため、結局二日間、史料とにらめっこすることになりました。

この文書の文字は、正直余りきれいとは言えないもので、特に場所によってインクがやけに薄かったり、字が雑だったりするので、余り読みやすくはありませんでした。ただ、馴染みの低地ドイツ語なのと、刊行史料と見比べられるので、それほど難しくはありませんでした。

ただ、やはりところどころどうしても分からないところが出てきます。正直、マイクロフィルムがどこまで当てになるか心許なく、確認しなければならないところは、当地でなんとかするしかなかったので、文書館員の方に質問しに行きました。しかし、結局文書館員の方も読めませんでした。一度、近くに座っていた男性が、助けてくれたのですが、やはり正確に読むのは難しいようでした。手書き文書は、時代によって字体が違うし、書き手によっても字体が変わるので、専門の時代が違うとなかなか読めないようです。

ケルンの文書館も自分で写真が撮れると言うことでしたが、一枚に付き2ユーロ掛かると言うことで、自分で撮影することは断念しました。この史料は、すでにマイクロフィルム化されていると言うことで、マイクロフィルムの複製を頼みました。複製は一缶に付き80ユーロ掛かります。これでも高いですが、新しく撮ってもらうよりも安いし、文書館員の方も大変なので複製にしました。

試しにこのフィルムを見せてもらったのですが、ネガのように白黒反転していており、見開きで撮影されているので、余り見やすくはありませんでした。しかし、普通の所は十分判読できるので、これで十分だろうと思います。どちらにしろ、喉の部分は映っていないので、完全には判読できません。そのうち、文書館の方に質問しなければならない機会もあることでしょう。

*1:C. A. Cornelius (Hg.), Der Augenzeugen über das münsterische Wiedertäuferreich, Münster, 1853, fototechnischer Neudruck 1965. 日本語訳は倉塚平訳『千年王国の惨劇。ミュンスター再洗礼派王国目撃禄』平凡社、2002