ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

久々の新しい研究

今年は、ミュンスター司教領が成立してから1200年ということで、大規模な催し物が色々と行われました。その一環で、5巻からなる大部の司教領の歴史が刊行されています。そして、その第三巻目に、我らが再洗礼派が登場しました。しかも、第三巻の一部分ではなく、丸々一冊が再洗礼派運動に当てられています。*1

この本を書いたのはHubertus Lutterbach という方で、エッセン大学のキリスト教史、文化史の教授だそうです。平たく言えば、神学畑の人です。今回は司教領の歴史なので、教会史家に依頼が行ったのでしょう。

カトリック神学者ミュンスター再洗礼派について書くときは、ろくでもない異端で反乱者という16世紀以来の敵対的な態度を露わにするのが長い間の伝統でした。そのため私は、この著作は大丈夫だろうかと心配していたのですが、さすがに今更学術的な著作で、そのような伝統的見解を主張できるはずもなく、きちんとこれまでの歴史学の成果を踏まえたものになっているようです。

それにしても感慨深いのは、冒頭に付けられたGeneralvikar(司教総代理)のNorbert Kleyboldt の献呈の辞の中に、次のような表現を見つけた時です。

再洗礼主義を、長い間そう思われていたように、真のキリスト教精神からの「離反」だと単純に判断を下してしてしまうことは、正当化できるのでしょうか?

Lutterbach, Huberus, Der Weg in das Täufertum von Münster, S. 5.

長い間再洗礼派を否定的にしか見てこなかったカトリック教会の聖職者が、未だに世間の間で流布している再洗礼派に対する偏見に問いかけを行う、つまり見直しを求めるのだから、再洗礼派をめぐる評価は、この半世紀で劇的に変わったものだと思います。

この変化は、もちろん60年代以降の歴史学研究の成果を、教会も無視できなくなったから生じたに違いありません。それを考えると、やはり実証的な歴史研究が地道に積み上げてきた成果は、確実に広まっているし、どのような党派の人々も、無視できなくなっていると思います。地道な研究が、人のものの見方を確実に変えていっている様を見ると、感慨深いと思います。

まだ、序文をざっと読んだだけなのですが、ミュンスターの再洗礼派運動を、中世から近代の過渡期の運動と位置付け、論を展開するようです。最新の歴史学の成果を取り入れた、神学者の描くミュンスター再洗礼派の歴史、これは読むのが楽しみです。

*1:Lutterbach, Hubertus, Der Weg in das Täuferreich von Münster. Ein Ringen um die heilige Stadt. Geschichte des Bistums Münster 3. Bd., Münster, 2006.