ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

できなくても、とにかくやる。

今週は、ミュンスター大学の図書館所蔵のミュンスター再洗礼派に関するパンフレットを集め、写真で取りました。残りは、アウクスブルクなどにあるので、文書館に質問メールを書かなければなりません。

昨日は、ミュンスターに市立文書館に行って、Lamberti Leischaft (ランベルティ市区)の租税リストを眺めていました。1548年から98年までの租税記録が綴じられたものを見たのですが、正直な話、さっぱり分かりませんでした。

ブリュッセルの史料の書き起こしを続け、大分分かるようになってきたため、結構読めるのではないかと甘い考えを抱いていたのですが、大きな間違いでした。やはり、有力諸侯の書記の字は、素晴らしく綺麗なのだと良く分かりました。

租税記録の文字は、書記によってばらつきがありますが、全般的にかなり適当に書いており、アルファベットを一つ一つ確かめるのは、ほぼ不可能なものが多かったです。特に最も古い1548年の租税記録の字は、私がこれまで見てきた文書の中でも、最も不明瞭で、小さく、汚い字で、どう考えてもこれは判読できないだろうと泣きを入れたくなるような史料でした。

しかし、この史料は冒頭に、租税を財産に従って徴集するなどと、徴税についての簡単な説明が付けられています。その中で、Knecht やMegede、つまり下男、下女についての記述をあったのですが、字が判読できないので、意味も分かりませんでした。

この部分は何としても読みたかったので、文書館員の方に聞いてみたのですが、いつものように分からないと言われただけでした。やはり、たまたま中近世の専門家に当たらない限り、文書館員の方に質問しても余り意味がないことは分かってきました。

私はさっぱり読めなかったので途方に暮れたのですが、仕方がないので、分かる単語を探して、その文書の文字に慣れることにしました。文書の文字の真似をして、紙の上に延々とミミズののたくったような意味不明の文様を書き続けました。

何時間かその作業を行うと、余りの不毛さに嫌になってきたので、分かりやすい文書の書き起こしを始めました。とは言っても、分からないところだらけなので、これも練習のようなものです。そんな風にして、一日文書館にいたにもかかわらず、ほとんど全く作業は進みませんでした。

そのうち、私にもこの文書が読めるようになるのかもしれませんが、それがいつかはさっぱり分かりません。それまでは、分からなくても、何時間でも文書を眺めなければなりません。そのために、ずいぶん多くの時間を、無駄に過ごさなければならないだろうと思います。

とは言いつつ、私のように技術の習得が遅い人間は、スキルを身につけてから何かをやるというわけには行きません。そのため、できなくてもとりあえず初めてしまい、現場で何とかし、気づいたらそれなりにスキルが身に付いているという感じでやって来ました。何分ゆっくり手書き文書の読み方を勉強する時間はないので、ぶっつけ本番でやるしかありません。

今後はしばらく文書館通いをしなければならないので、判読が出来ない文書を、延々と無為に眺めるに違いありません。しかし、それでも、以前よりはずっと読めるようにはなってきたわけで、全然無駄というわけでもないと思い、文書を眺めようかと思います。