ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

孤独と貧困

先日見たドイツ映画『Sommer vorm Balkon』は、下層に生きる都市民の孤独を描いた映画でしたが、実は、歴史的に見ても、貧困と孤独は密接な関わりがあります。

私は下層民研究の専門家ではなく、中世末から近世までのドイツの都市についてわずかばかりの知識を持っているだけですので、全体的な記述は眉に唾を付けて読んでいただければと思いますが、当時の都市の貧民の代表は、独身者、特に独身女性だったということは確実に言えます。

これは何を意味しているかというと、当時は社会の正式なメンバーとして認められる基本的条件に結婚することがありました。しかし、結婚は通常、ある程度の経済的条件が揃ってから行われました。逆に言えば、経済的基盤がない人間は、なかなか結婚が出来なかったと言うことです。

たとえば、近世において、早婚なのは貴族や上層市民の子弟、晩婚なのは下層民の子弟でした。そのため、親方になれない職人や、日雇い労働者の男性は、なかなか結婚が出来なかったのです。

しかし、経済的に自立する手段の多い男性は、貧困のどん底に陥る可能性は、女性よりもかなり小さかったと言えます。働き口を見つけることが難しい女性は、もし結婚できなかった場合、あるいは結婚できても夫に先に死なれた場合、非常に厳しい状況に陥らざるを得ませんでした。

そのため、女性にとって、夫の存在は非常に重要だったのですが、女性は、年を取れば取るほど、再婚できる可能性が下がるという問題があります。男性の場合は、通常年を取れば取るほど、社会的、経済的地位が上がっていくので、年を取っても、再婚することは容易です。

しかし、女性は、年を取れば取るほど性的な魅力や生殖能力が低下したからか、次第に再婚が難しくなっていったようです。再婚できないと、自分で働いて生計を立てなければなりませんが、女性の仕事は多くはないし、どれも低賃金なので、もし亡くなった旦那さんが十分な財産を残さなかった場合は、貧困に陥る可能性が大きかったのです。*1

そのため、女性は、年を取れば取るほど、貧困に陥る可能性が高くなり、未婚女性、未亡人は、貧困層の典型だと言えます。ミュンスターでも、救貧院や養老院の多くは女性だけを収容の対象にしており、ミュンスター全体の収容人数を見ても、女性は男性よりも遙かに多かったです。*2

また、老人は、身体が弱り、働けなくなることが多いので、貧困に陥る可能性が高かったと言えます。中近世のドイツの都市において、親子がいっしょに住むことはほとんどありませんでしたし、子供が貧困層である場合、そもそも親を養う余力がないので、老人は自分で働けなくなると、貧困に陥ってしまう場合が多いのです。そのため、救貧院は、基本的に老人を収容対象としていました。ですから、独り身の年老いた女性が、救貧院の厄介になる確率が最も高かったと言うことになります。そしてこれは、どのような人々が、貧困に陥る可能性が高かったかを反映していると思われます。


では、職人や日雇い労働者の男性、未婚女性や未亡人、老人に共通する要素は何かと言えば、彼らが社会の正規のメンバーではなかったと言うことです。では、社会の正規のメンバーとはどのような人々かと言えば、結婚し、市民権を持ち、さらに多くの場合同職団体のメンバーである男性と、その家族のことです。

実は、「結婚」「市民権」「同職団体のメンバー」の三つは基本的に重なっています。というのは、ギルド、ツンフト、兄弟団のような同職団体に参加するためには、ほとんどの都市で市民権を持っていなければなりませんでしたし、結婚することは、社会の正規のメンバーとして認められるために必須な事だったからです。

市民であること、同職団体のメンバーであること、結婚によって親族集団と結びつくことは、そのメンバーの社会的地位や経済的地位を保証しました。同職団体は、相互扶助組織としてメンバーが困窮したときに援助を行うので、同職団体のメンバーは困ったときでも立ち直る可能性が高かったと言えます。また、同職団体のメンバーの妻や子供も、たとえ夫、あるいは父親が亡くなったとしても、同職団体から援助を受けたり、亡き夫、あるいは亡き父の生業を引き継ぐなど、困窮に陥らないように配慮されていました。

まだ、公的な福祉の貧弱だった時代には、同職団体、親族などの中間団体や、友人や近所の人々が、現在で言うセーフティーネットの役割を果たしていました。そして、社会の正規のメンバーは、単に政治的、経済的な特権を享受するだけでなく、そのような中間団体からの援助も受けることが出来ました。そのため、彼らは、困難な状況に直面しても、彼らの援助により立ち直る可能性が高かったと言えます。

社会の正規のメンバーであると言うことは、政治的、経済的特権、人脈を手に入れられると言うことです。逆に言えば、そこから外れた場合、そのような諸特権は手に入れることは出来ず、貧困状態と不安定な地位に甘んじる可能性が高くなると言うことになります。


さて、大分前置きが長くなりましたが、貧困と孤独が結びつくというのは、社会の正規のメンバーが持っている家族、親族、同職団体などの安定し、継続的な人間関係を、そこから排除された人々は、持っていないからです。

孤独というのは、主観的には様々な要因が考えられるにせよ、基本的には、密接な人間関係が欠如しているために生じるものだといえるでしょう。ということは、妻や子供などの家族、両親や叔父叔母、従姉妹などの親族、同じ職業の仲間たち、近所の人々、同じ教区に属す人々などと密接な関係があれば、彼らには、基本的には孤独は生じないことになります。

基本的に孤独が問題になるのは、農村より都市、前近代社会より近代社会であると思いますが、それは農村や前近代社会では、中間団体が強固に残っており、個人が強制的に様々な人間関係の網の目の中に組み込まれるからだと言えるでしょう。

しかし、都市でも、社会の正規のメンバーとして、家族、親族、職業仲間などに迎え入れられた個人と、そのような人間関係の網の目からこぼれ落ちた個人では、孤独を感じる確率は、大きく異なっているでしょう。

結婚していない=自分の家族を持たない、親族による扶助を受けることが出来ない(扶助されていれば困窮はそれほど酷くならない)、職業団体に入ることが許されず、仕事仲間がいたとして、その関係が制度によって裏打ちされていない人々は、密接で継続的な人間関係を必ず持てるわけではありません。つまり、彼らは、流動的な人間関係に常に晒され続け、それ故に、他の人々から完全に切り離される、つまり孤独な状態に陥る可能性が高いと言えます。

もし、ある個人が、他者と継続的で密接な人間関係を保ち続けることが出来れば、その個人は、その他者、親族にせよ、友人にせよ、同職団体の仲間にせよ、援助を受けることができる可能性は高くなります。しかし、そのような人間関係を持たない人々は、他者から援助を得られる可能性がほとんどなく、自助努力が及ばない場合は、それ以上どうすることもできません。そのため、彼らは困窮する可能性が高くなります。*3

このように、人が貧困に陥る条件と、孤独に陥る条件は、基本的にかなり共通していると言えます。そしてこの条件は、おそらく、中近世のヨーロッパと、現代の社会でも基本的に共通しているのではないかと思います。


『Sommer vorm Balkon』の主人公二人が、両方とも独り身の女性であり、孤独感を感じているのは、彼らが、社会の正規のメンバー、すなわち結婚して、安定した職に就いている人間ではないからです。彼女達は、安定した継続的な人間関係を基本的に持っていません。

もし、彼女達が彼氏を作ったとしても、あるいは彼氏と結婚をしたとしても、彼女達にとって、そのような関係は安定した人間関係にはなりません。カトリンは以前結婚し、子供がいたにもかかわらず、離婚をして、再び家族関係を解消しています。そのため、彼女達には、流動化した人間関係を結ぶことしかできないことが分かります。

しかし、これは、彼女達だけでなく、都市に住む多くの人々に共通していることでもあります。家族、親族、地縁、同職の仲間などの中間団体が解体されると、個人は、強制的な人間関係を持つことが出来なくなります。そのため、個人が人間関係を構築するには、自分の努力が必要になります。そして、もしその個人に、自分で人間関係を構築する能力がない場合、その個人は、いかなるかたちでも人間関係を結ぶことが出来なくなります。

人間関係を構築することが個人化されたことは、一方で、自分で人間関係を選択できる、嫌な人間関係があればすぐに解消できるという人間関係の選択の自由を導きますが、一方で、誰とも人間関係を結ぶことが出来なくなるかもしれないというリスクも同時に導きます。

しかし、人間関係を作りやすい環境にいる個人と、そうでない個人の間には、単なる個人的な能力や資質だけではなく、機会そのものの格差があります。そして、その機会そのものの格差は、社会の正規のメンバーになれるかどうか、つまり、依然として残る政治的、経済的、人脈的特権を享受できるかにかかわってくるはずです。

社会の正規のメンバーになれるかどうかは、中近世のヨーロッパでも、現代の日本やアメリカ、ヨーロッパでも、親が社会の正規のメンバーだったかどうかに大きく左右されると言えると思います。

『Sommer vorm Balkon』でも、カトリンの息子の勉強場面で、社会的格差の世代間継承が暗示されています。カトリンの息子が学校の宿題をやっていますが、彼はその問題が分かりません。そして彼は、こんな勉強、自分の人生に必要ないと言います。それを横で見ているカトリンは、息子に勉強を教えることができません。おそらく、彼女も余り良い教育を受けてこなかったのでしょう。

勉強が出来ず、勉強することに意義を見つけることが出来ないカトリンの息子は、多分ギムナジウムにも大学にも行けず、給料の高い、安定した職には就けず、将来母親と同様の失業者になる可能性が高いはずです。もしかすると、やはり親のように、恋人を作ってもすぐに別れる、あるいは、結婚してもすぐに離婚してしまい、安定した家族を持つことができないかもしれません。


最後にまとめるとすれば、都市における貧困と孤独の結びつきは、政治、経済的、人間関係的な諸特権はひとまとめになっており、それを得られる人間は全てを手に入れ、それを得られない人間は、何も手に入らないということを示していると言えるのではないかと思います。

私は、中近世のドイツの都市と、現代の日本やドイツについて、ほんのわずかな知識を持つだけなので、このような傾向が、どの程度歴史的、地理的に普遍的なのか判断が出来ませんが、もしかすると、人間社会全般に言えることなのかもしれないと思わないことはないです。しかし、それを検討しようとすると、社会学や人類学の知見を広範に得ないとならないので、大変だなと思います。

*1:ここまでの記述は、主にWunder, Heide, Er ist die Sohn, sie ist der Mond. Frauen in der Frühen Neuzeit, München 1992. の記述に依拠しています。彼女が参照している研究は、時代も地域もバラバラです。そのため、本来、個々の個別研究に依拠した記述を、中近世全般の一般的傾向を示すものとして受け取ることはできません。しかし、ここでは、話を分かりやすくするため、その辺りの問題の検討は省かせていただきます。

*2:Stadtarchiv (Hg.), Armut, Not und gute Werke. Soziale Stiftungen in Münster, Münster, 2001, S. 128ff.

*3:ebd., S. 8. „Neben der Hilfe aus der offenen und geschlossenen Armenfürsorge konnten viele Arme auf Unterstützung von Verwandten, Freunden und Nachbarn hoffen. Wer in intakten Familien- oder Nachbarschaftsverhältnissen lebte, konnte vorübergehende Krisen, etwa durch Krankheit, bewältigen, ohne in die Bedürftigkeit abzusinken. Diese Form der Selbsthilfe beruhte auf dem Prinzip der Gelegenheit. “「公的、あるいは閉鎖的な(訳注:救貧院などの施設に収容するタイプの)救貧福祉と並んで、多くの貧者は親類、友人、隣人の援助を期待することができた。ちゃんとした家族や隣人関係の中で生活している人は、病気のような一時的な危機によって貧困に陥らないよう守られていた。このようなかたちの自力救済は、機会の原則に基づいていた。」