ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ミュンスターとの別れを惜しむ贅沢はない

金曜日:朝起きて、日本ですぐに必要な文献を詰めた荷物をえっちらおっちら持っていく。中味はほとんど本なので無茶苦茶重く、郵便局に着いた頃には腕がガクガクになっている。

その後、大学の事務に行き、学籍登録の抹消を行う。手続きが終わると、メールアドレスなどは使えなくなるが、まだSemester Ticket *1は、学期の終わりまで使えると言うことだった。これで自分が、ミュンスター大学の学生でなくなると思うと、少々複雑な気持ちだった。大学の建物として使われている街外れの宮殿を眺め、しばし感傷的な気持ちになったのが、後から振り返れば、ミュンスター最後のセンチメントな瞬間だった。

しかし、やることはたまっているので、感傷に浸る間もなく、街中に行き銀行口座を解約する。これで事務手続きは全て終了。昼飯は、好物のラザニヤを食べる。

その後、州立美術館で行われていて、帰る前に見たかったMelchior Leuchter (メルキオール・ロイヒター)の展覧会を見る。彼はミュンスターのエギディ市区出身の芸術家。元々ステンドグラスの職人として修行をしたが、画家やデザイナー、本の装丁家としても活躍した。彼は、ラファエロ前派の影響を受けており、同時にユーゲントスティールの影響も受けている。また、インドが好きだったようだ。デザイナーとして大変素晴らしい才能を持った人だったようで、彼のデザインしたステンドグラスや装飾文様、本の装丁は非常に素晴らしかった。

その後部屋に戻り、ひたすら部屋の片づけ。夕方まで片づけをするが全く終わらず。しかし、友人が開いてくれるお別れ会に行かなければならないので、中断して出かける。駅で友人を拾うと同時に、翌日の切符を買う。それから皆で、会場になるドイツ人の友人の所に行く。

お別れ会には、有り難いことに10人以上の方々が集まってくれた。お別れ会とは言え、特に何をするというわけでもなく、飯を食べ、歓談をする。この日のハイライトは、最近ドイツで流行っているカルトソングの上映だと言えるだろう。トルコ人の3人兄弟が歌っているヒップホップ調のポップスなのだが、ビデオと音の余りのチープさと、彼らのやる気のない歌、そしておかしな発音が相まって、何とも言えない脱力感を醸し出していた。この曲は、そのおかしみ故に、インターネット上で瞬く間に有名になったのだそうだ。何回も聞かされたのが、確かに、思わず真似をしたくなる、味わい深いビデオクリップだった。

そんな感じで楽しく話していたら、瞬く間に12時近くになってしまった。バスの時間がギリギリだったので、皆様との別れを惜しむ間もなく、別れの言葉もそこそこにバスに乗り込んだ。

部屋に帰ると、友人との別れの感慨に浸る間もなく、ひたすら部屋の片づけ。結局掃除が終わったのは朝の7時頃。仮眠を少々取るだけで、ほぼ完徹。その前も、ろくに寝てない日ばかりなので、さすがに体力的には限界で、まだなんとか動いているのが不思議になるほどの消耗度だった。寮の他の住人がバナナをくれたり、朝ご飯としてパンをくれたので有り難い。

土曜日:8時45分に鍵の引き渡しのはずが、相手が来ず、バスの時間があるので、隣の住人に鍵を渡して出かける。重いトランクとバックを抱えて、バスに間に合うようにと急いだので、当然の事ながら、後を振り返る余裕は全くない。というか、疲労と睡眠不足が極限に達し、今にも倒れそうで、ものを考える余裕がない。

しかし、駅に行く前に、荷物を受け取らなければならなかったので、途中でバスを降りて、荷物を取りに行く。土曜はバスの本数が少ないので、次のバスはなかなか来ず、なおかつそのバスがかなり遅れたので、駅に着いたのは電車出発の直前。売店でコーヒーを買う時間すらなく、電車に駆け乗る。何人かの友人が見送りに来ると言っていたのだが、見あたらず結局会えず終いだった。

電車に乗ると、朝食のパンを食べ始めるが、食べている最終でも眠りそう。なんとかパンを食べ終わると、ひたすら爆睡。ほとんど延々と寝て、気が付いたらコブレンツに着いていた。

荷物が多いので、駅前のホテルに泊まることにする。50ユーロちょっとのホテルがあったので、迷わずそこに決める。電車の中で少し寝たせいもあり、ホテルで寝込むことなく、すぐさま街に出る。

コブレンツはライン川モーゼル川が合流する交通の要衝にあり、周りの山の上に城や要塞が沢山ある。歴史博物館が街中になかったので、詳しい歴史は分からない。しかし、帝国議会が何度も行われるような重要都市の割には、余り市域は大きくない。市庁舎や教会を見ても、それほど立派ではなく、都市としては中規模。だいたい、この都市は、司教座都市ではない。にもかかわらず、帝国政治の中心の一つだったのは、やはり交通の要衝にあったからだろうか。

街の中心教会であるLiebfrauenkirche は、ゴシック様式。柱や壁の一部が茶色。余り大きくない。St. Kastor は、ライン川沿いにあるロマネスク様式。独特のアーチと、その周りに描かれた装飾文様が美しい。Frorinskirche は、プロテスタントの教会でゴシック。中は簡素。市庁舎広場にあるJesuitenkirche は、戦後修復された現代的な教会。

観光名所らしいDeutsche Eck は、ライン川モーゼル川の合流地に着きだした角。昔は川の中州で、後に旧市街との間を埋め立てたようだ。ここには、巨大な軍人の像があり、その周りに半円形の台、そしてドイツの諸州のレリーフが据えられている、つまり、この場所は、19世紀のドイツ統一を記念した場所。何故コブレンツなのかは不明。

晩には、コブレンツの主教会であるLieb Frauen 教会近くの17世紀開業のAltes Brauerei で食べた。老舗の店というと、敷居が高そうな感じだが、ここは酔っぱらったおっちゃんたちが大勢で騒いでいるという、大衆的な雰囲気あふれる店で、値段もレストランにしては安めだった。味もボリュームも大変結構で、ドイツ料理も、ちゃんとしたレストランで食べれば、非常においしいと再確認した。

しかし、すでに疲れ切っているにもかかわらず、街中を延々と何時間も歩きつづけられるのは我ながら不思議。おそらく、せっかく来たのだから、できるだけ多くを摂取しなければ勿体ないという吝嗇が、疲労を上回ったのだろう。吝嗇の力は大きいものだ。

日が暮れ始めた頃、やや早めにホテルに戻ると、シャワーを浴びることなくベットに倒れ、延々と眠りこける。疲れがどっと出たので、しんどくて仕方がなく、うんうんうなりながら寝た。一度起きて、シャワーを浴びてから、またすぐに眠り、結局翌朝まで合計14時間ほど眠り続けた。

*1:ミュンスター大学に学費はないが、学期毎に約100ユーロを払い、このゼメスターチケットを受け取る。このチケットを使えば、ミュンスター近郊のバスと電車が無料で利用できる。