ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ドイツメンノー派研究の拠点Weierhof

マインツから、Alzey 経由で、Kirchheimbolanden まで一時間ほど電車に揺られます。このライン左岸の地方は、緩やかな丘の広がる農村地帯で、広大な耕地の区画と、ブドウ栽培が特徴的。すでにフランスに近い雰囲気。天気は快晴で、上着が要らないほどの春のような暖かさ。耕地以外は、小さな村が点在するだけ。

Kirchheimbolanden の駅まで、Gary Waltner 氏が迎えに来てくれました。Bolanden という街のWeierhof という村にメンノー派の研究施設があり、Waltner 氏は、そこの責任者をやっているので、迎えに来てくれたのです。Bolanden は、街に売店やスーパーもないような小さな村です。しかし、現在新しい団地が作られている最中で、その一帯は、真新しい建物が建ち、工事中の区域が多く、ヤンキーっぽい子供たちが遊んでいました。

Menonnite Forschungsstelle (メンノー派研究所)は、二階建てで、一階が図書館と事務所、二階が宿泊所になっています。Waltner さんが予約してくれたので、私は二階の部屋に泊まりました。

図書館は、さすがにメンノー派の図書館だけあって、見事に宗教改革や再洗礼派の本ばかりで、非常に充実していました。一七世紀や一八世紀の稀覯本と思しき本も多々ありました。私は一八世紀に出版されたケルゼンブロッホの翻訳の第一版をここで始めて見ました。単行本や史料集に関してはかなり包括的に集めているようなので、今度からは、再洗礼派関係の入手困難な文献は、ここに複写を頼もうかと思いました。

とりあえず、書棚を一通り眺めたのですが、世界中のメンノー派についての研究が沢山あることに驚きました。ブラジル、ロシア、ポーランドアメリカ、カナダ、パラグアイなどの再洗礼派の研究がすでにかなり行われているようでした。

また、メンノー派家族の研究が数多く存在していたのも驚きでした。これらは、歴史家の手によって出版されたものだけでなく、子孫などが自分で調べて、タイプライターで打ったものも多かったです。やはり、迫害されてきた少数派だからでしょうか、自分たちのルーツにたいして、並々ならぬ執着を持っていることが伺えました。

個人的には、Edith Eymann, Die Täuferbewegung in Münster 1534/35 unter der besonderen Berücksichtung des Emanzipationsprozesses von Frauen und ihre Darstellung in der Historiographie, 1985. (「ミュンスター再洗礼派運動1534−25年。女性解放の過程、及び歴史作品の中での彼女達の記述を特に顧慮して」)を見つけたことが収穫でした。Johann Wolfgang Goethe-Universität Frankfurt am Main のErziehungswissenschaft (教育学) のDipromarbeit (修士論文)なのですが、結論だけざっと見たところ、女性のダンスに注目しているなど、面白い視点があり、自分の研究にも役立つのではないかと思いました。ミュンスター再洗礼派の女性に関する研究はほとんど皆無に近いので、歴史学プロパーでない学生の修士論文でも、貴重な資料になります。

研究所には、他にもバイエルンから来た男性が来ていました。この方は、バイエルンアーミッシュについて個人的に調べているようです。何でも、彼自身が、アーミッシュの子孫だそうです。私はバイエルンアーミッシュがいたとは知りませんでしたが、19世紀に大半がアメリカに逃げ、残りはメンノー派に同化したので、現在は残っていないそうです。

研究所のあるWeierhof は、17世紀にメンノー派が移り住んで以来、礼拝堂や教会が作られ、現在もメンノー派牧師の家や共同体の集会所、メンノー派の家など、メンノー派縁の建物が沢山あります。17世紀に最初に作られた礼拝堂の隣には、19世紀初めに作られた墓地があり、そこにはメンノー派が多く埋葬されているそうです。

Waltner 氏が、村を案内してくれたのですが、村に住んでいる、あるいはメンノー派共同体に属していると、個人的な結びつきが強く、個々の農家の歴史、建物の歴史、お墓の歴史が、自分と関わり合いのある個人の歴史と不可分に結びついており、私がやっているような、遠方から見た抽象的な歴史とは全く異なる観点から、歴史が語られていると思いました。

メンノー派は、国家とは関わらないので、現在も教会税を払わないし、国からお金を受け取らず、全て自分たちで賄っているそうです。研究所も、建築費用を安くあげるために、多くの人が手伝いに来たそうです。彼らは、自分たちの収入の10分の1、あるいはそれ以上を共同体に寄進するそうです。

晩は、村で唯一のレストランに行って食べました。いかにも郊外という感じの場所に作られた、モダンかつチープな作りのレストランだったのですが、値段はかなり手頃で、Gulashsuppe、Jägerschnitzel とSpätzleを食べました。周りの中年男性が飲みに来ていたり、老夫婦が訪れたりと、人口が少なくても、結構繁盛しているようでした。