ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

皇帝と司教とルターの都市Worms

朝Waltner 氏に駅まで送ってもらい、Worms (ヴォルムス)へ旅立ちました。この日は生憎の天気でずっと雨でした。Worms の駅前は、電話屋とカジノがやたらと多く、ホテルがほとんどありません。何となく街全体に活気がない感じがしたのは、天気のせいだけではないような気はします。

ヴォルムスはルターが1521年の帝国議会カトリックと最終的に決別した街で、街中にルター縁の地があります。ヴォルムスは小さな街ですが、観光の大きな売りの一つはルターで、もう一つは大聖堂です。

旧市壁跡の公園に、ルターとその縁の人や都市を記念した記念碑が建っています、この記念碑は非常に大きく、曼陀羅っぽい感じになっています。ルターを中心にして、その周りをサヴォナローラ、ワルド、フス、ウィクリフなどのカトリックへの批判者が取り巻き、その外側に、ヘッセン方伯やザクセン選帝候、メランヒトンなどのルターの協力者の彫像、さらに宗教改革派の諸都市の浮き彫りが並んでいます。

個人的には、カトリックに楯突く異端たちが英雄視されている様というのは、カトリックの信者からしてみればかなり噴飯ものなのではないかと思いました。ヴォルムスは、司教座のあるカトリック信者の多い街のように思えるのですが。

ヴォルムス最大の教会は、高く聳えるロマネスク様式の大聖堂です。さすが帝国議会常連開催都市であり、皇帝と結びつきの深い街だけあって、大聖堂の壮麗さも半端ではありません。マインツの大聖堂にも唖然とさせられましたが、それに匹敵するような巨大さと壮麗さでした。特に、バロック様式の祭壇とそれを取り巻く貴賓席は、非常に見事なものでした。教会の両端にある祭壇の上には、六角形の天井が広がっており、巨大空間を作り出していました。さすがはヨーロッパ建築の頂点の一つという感じの風格でした。

以前は、大聖堂の横に王や司教の居城があったそうですが、19世紀にフランス軍によって破壊されたそうです。また、ルターが帝国議会で発言したのは、この居城だったそうです。

街外れのAndreasstift は、現在歴史博物館になっています。教会にいきなり博物館と書かれていました。展示は、教会と、それに付属する元修道院の建物です。石器時代や古代の展示は充実していましたが、中世のヴォルムスの栄光の時代の展示がすっとばされていました。私の、北ドイツの歴史博物館は包括的で詳細だが、南ドイツの歴史博物館は、小さく内容が乏しいという仮説は、ヴォルムスにも当てはまると言えます。ちなみに、この博物館の一室には、ルターに関する展示があります。

学芸員の方によると、ヴォルムスは、中近世は人口5000人程だったそうです。マインツと違い、ヴォルムスは旧市街地も狭いので納得ですが、街の大きさと街の重要度が全く釣り合っていないような気がします。コブレンツ、マインツと言い、都市の人口や経済的重要性と、都市としての格や政治的重要性は区別して考えねばならないと思わされました。

他の教会は市庁舎の脇にある、外側バロック、中はモダンなDreifaltigkeitskirche、小さいが綺麗なロマネスク教会Martinuskirche、天井画や装飾が修復されていないPauluskirche などがありました。教会に関しては、市域の狭さに対し数は多いものの、やはり大聖堂一極集中という感じでした。