ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

熊本でケーテ・コルヴィッツに再会。

朝起きて、朝食をいただく。魚の卵や白子やレバーなどの珍しい食べ物をいただく。友人の父は釣り人で、魚を良く釣ってくるのだそうだ。

先日時間が無くて見られなかった、熊本城内にある県立美術館を拝観する。偶然にもこの日は、ドイツの女性画家ケーテ・コルヴィッツの特別展の最終日だった。彼女が日本に紹介された例は、過去ほとんどないのではないかと思うが、これほど大規模な展覧会が行われるとは。館内には、日曜と言うこともあってか、大勢の人たちが詰めかけていた。

数多くの作品を見て、ケーテ・コルヴィッツの天才としか言いようのないずば抜けたデッサン力、もののかたちを捉える力、そして画面構成能力に唸らされまくる。しかし、彼女の絵、あるいは彫刻は、単に技術的に高いだけでなく、人の心を動かすものがあると思う。彼女ほど、愛情を切実に描いた画家はいないのではないかと思うほど。

常設展は、明治に細川家が購入した精巧に作られた雛人形と調度、生き人形、日本画、洋画などが飾られている。日本画で、紅葉した木を上から描いた絵があったが、構図の大胆さと様式美が見事だった。

その後は城を離れ、昔の中心地古町を歩いた。この辺りは、幅の狭い家や店が隙間無くびっしりと建ち並んでいる通りが続いている。このような狭苦しい混沌とした街並みでも、古い街並みは、不思議と嫌な感じを受けないのは何故なのだろうか。

現代的な芸術、建築、街並みのつまらなさが、果たしてどこから来るのかは、生活空間の設計を考えた場合、非常に重要な問題ではないかと思う。

ミュンスター在住の某氏には、この問題について是非とも考えてほしいので、よろしくお願いいたします。

すでにマンションなども増えているが、古い家も数多く残っている。古い町が壊されつつある過渡期の状態なので、トマソン、特に原爆式が沢山ある。中でも、何故か壁だけが残されたトマソンは、何故あのような取り壊しの仕方をしたのか良く分からない、不思議なトマソンだった。

その後、空港に行かねばならないので、2時頃友人と別れ、帰路に就いた。