ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

速水融『歴史人口学で見た日本』文春文庫

帰ってから日本語の本をぼちぼち読んでいます。いつの間にか、新書の種類がやたらと増えていて驚きました。ベストセラーも出ているようですし、出版不況らしいのに、ずいぶんと新書は景気が良いようだとお見受けしましたが、どうでしょうか。

と言うわけで、租税記録を延々と眺めていたせいで、歴史人口学にも興味が出てきたので、速水融『歴史人口学で見た日本』文春文庫を買ってきて読みました。

この本は、主に、江戸時代、キリスト教禁制のために作られた宗門改帳を使い、日本の人口や世帯について分析した本です。この史料は、なんとある村の全世帯と、その世帯の構成、人の転入転出が全て分かるという凄いものだそうです。何とも羨ましい限り。

また、日本では、1721年から継続的に全国の人口調査が行われたそうです。18世紀後半の飢饉での人口減少、その後の人口増加で多少人口は増減したものの、だいたい2600万人前後で推移していたようです。しかし、地域によって人口の増減はかなり違ったそうです。

面白いのが、北関東、近畿地方で人口が減少しているところから、著者は、「都市アリ地獄説」を唱えています。前近代では、都市の住環境は劣悪だったため、死亡率が農村よりも高かった、そのため人口を維持するためには外部からの移住が必要。そのため江戸へ移住する人の多い北関東、京都、大阪へ移住する人の多い近畿地方の住人が減ってしまうという説です。

ヨーロッパでも、似たような、「都市墓場説」が出されたようですが、これは誰が提唱したのでしょうか。

また、17世紀の人口増大の原因は、合同家族世帯から、直系家族世帯、あるいは核家族世帯へと、世帯の規模と構造が変わったことが原因であり、世帯の小規模化は、江戸時代の兵農分離と城下町という一大消費地の発生に基づく、農業経営の効率化の結果なのそうです。

また、17世紀以降、日本では人口が増加するに連れ、特に平野部で、家畜が減少していったそうです。これは、平野が全て耕地化され、家畜を飼うコストが増大したためだそうです。しかし、日本人は、家畜を使わず、投入労働力、そして労働時間を増やすことで、生産性を上昇させたそうです。速水さんは、この生産性上昇のために、労働は美徳だという倫理が導入されたのだと考えています。

江戸時代には生産性を上げればそれが農民にも返ってきたので、彼らが生活水準を上げようと思い、より勤勉に働くようになったと考えています。日本人の勤労意識が、限られた土地でより生産性を上げるための努力から来ており、生活向上が生産性向上のインセンティブとなった説は、非常に刺激的でした。

輪中地帯の平坦部の家族を見ると、結婚したものの平均初婚率は男性28才、女性20.5才で、結婚は離婚や死別のため1〜3年とかなり短い間しか続かないことが多かったようです。女性のうち16〜20才の間に結婚したものは生涯5.3人、21才から24才に結婚したものは生涯4.5人の子供を産んだそうです。また、第一子は死亡率が低く、その後死亡率が高くなるそうです。

また、奉公に行くのは男女とも、小作層が多く、地主層は余り奉公には行かなかったようです。また、奉公先は、男女とも江戸や大坂、京都などの都市が半数以上と圧倒的に多く、次に農村、町場(中小、地方都市)の順でした。しかし、次第に、特に女性で、町場で奉公する者が増えたそうです。つまり、次第に中小都市が発展していったことを反映しているそうです。

男女とも14から15才で奉公へ出かけ、平均13から14年間奉公したそうです。奉公に出かけた者は都市に住みついたり、死亡したり、村に戻っても婚期が遅れたりしたので、奉公は、村の人口増加を抑える役割を果たしたようです。

この本では、他の国の歴史人口学の研究状況も紹介されているのですが、イギリス、あるいはフランスの研究は、主に農村で行われたというのは、個人的に驚きでした。

考えてみれば、人口規模の大きい都市を長期間調査するのは作業量が膨大すぎるので、100年単位の統計的研究はかなり難しいとは思います。ロンドンやパリを100年単位で歴史人口学的な分析をするには、千万単位のデータ解析が必要になりますから。こういう場合は、無作為抽出でもして分析するのでしょうか。

また、国際的な学会やプロジェクト、あるいはデータベース化の試みも存在するようで、今後の研究の発展が楽しみな分野だと思います。私も、そのうち、ささやかながら、貢献できれば良いなと思っています。